2009年12月

AVATAR

James Cameron, 20th Century Fox (2009).

23日にAVATARを見てきました。

2D版でしたが、映像は凄いですよ。原住民ナヴィは全部CGらしいです。役者の動きのデータを使ってCGを動かしてるらしいです。それ以外も多分CGだらけです。うーん、どうせなら3Dで観たかった。

話の内容的には、やはり予告編で充分だったかも。もっとも、その予想だと、最後に解決しなければならない問題があるのですが、始まって結構最初の方で解決策のヒントが出てきます。「そういう著書を出しているという設定の人物が、今頃そんなことを驚くのか?」という感じの場面です。内容は王道といえば王道ですけど、もうちょっとなぁという感じもあります。

それはそうと、サロゲートの予告編が流れました。やはり面白そうです。ブルース・ウィリスに髪がありましたよ(多分。別の役者じゃないと思いますが、ちょっと微妙に自信ありません)。こっちは予告編だけからでは今ひとつ話の内容の予想が絞りきれません。

シーズがどうのこうの

年が明けてしばらくしてからのことですが、シーズがどうのこうのという発表会? 報告会? があるそうです。私の研究室からも、学生が一人参加できるかなと思っています。

何日か前に、その学生と話した時には結構やる気になっていたのですが、つい先日話した時にはちょっと引け気味でした。理由は、まだこれからやらない事をまとめてみるとそれだけで結構大変だということが分かったからというものでした。

確かに、まだ大変なんですが、卒業研究の発表のスライドからのほぼ抜粋で資料が作れるというような話で、ひとまず発表予定ということになりました。資料の片方は確かにそれで済むのですが、もう片方がどうなのか… でも参考にできる論文があるので、そこから抜粋&新しいところを追加でどうにかなると思っています。まだ、発表人数の調整などで無しになる可能性も0ではありませんが。

いや、実際、いろいろな意味でどうなんでしょう?

ちなみに、一つ前に書いた論文の件とはまったく別の研究です。

年内は難しいかも

返ってきた論文の修正ですが、年内は難しいかもしれないことに気づきました。ちょっと出かけなければならないところがあるので。

返って来て以来、ちょこちょことやっていますが、図を結構描き直さないといけないかなというのもあります。おまけに図が多いと来てるもので。ついでにグラフの線の太さもいじろうかとか思っています。

それに関係するところ以外は、ほぼどうにかなりました。残りも、どうにかなりそうというところです。ただ修正後にきっちり数値の確認をしなおさなければいけません。これについては何回か確認しないといけないくらいですね。

それと、自分が昔書いた論文も参考文献に挙げることになりました。ここで挙げるとは思わなかったというか、その論文もネタ元ではあるので、やはり挙げておかないといけなかったかという感想です。ちなみに、その論文から引っ張り出したい箇所は、その論文自体でなくても、ある書籍でも確認できる内容です。ですが、やはりオリジナルということで論文の方を書いておかないといけませんね。コメントへの回答には書籍の方も挙げておいて良いのだと思いますが。

出かける方の話ですが、そっちにもちょっと資料を作らなければいけなかったりします。これはさほど時間がかかるものでもないはずです。とは言え、一つ重要な図の書き直しがありますが。まぁ、何とかなるでしょう。

明日中に、出かける方の資料は作り上げて、論文の修正も大体何とかというところまでもって行きたいです。

と、書いていて思い出したのですが、明日はAVATERの公開日じゃないですか。これも観に行かなければ。でも、今いるところでは3Dでの公開ではなく、2Dでの公開だそうです。ちょっと期待していたのに、残念です。

論文が帰ってきました

先に査読に出していた論文が帰ってきました。山のような修正点の要求と一緒に。山のようなというほどでもなく、これくらいは普通かもしれません。いや、これが普通だと、もともとの出来が良くないという水準に私が慣れてしまっているだけかもしれませんが。

とは言え、大半は、収めたいページ数に収めるために、「突っ込まれるだろうな」と思いつつ削除したり思いっきり短くした箇所でした。TeXで書いているので、もともと書いたものはコメントアウトして残してあるので、それらについてはもう一度見直すとともに、コメントから復帰させるだけで済みそうです。

ただ、かなりの数の図を描き直さないといけないかもしれません。もともと図が多いので、割合にすると多くはないのですが。ただ、図を描き直した結果として、原稿に書いた結論とずれたらどうしましょうというのがちょっと怖いです。一応その手の確認も以前しているので大丈夫だとは思いますが。それでも違ったら、原稿を修正すれば良しということで。

そんな訳で、いくつかちょっと時間がかかりそうなものもありますが、査読結果を大雑把に要約すると、「上限ページ数の規定に達しても構わないよ」という事だと楽観的に考えています。コメントアウトしてあるところを復活させたりなどの結果、規定の上限ページ数(それを超えたらもう受け付けてさえもらえません)を超えたらどうしようなどと悩んでいますが。

年内か年頭の早い時期に修正版を出せるのではないかと思っています。楽観的かもしれませんが。

読み直したら難しい

研究発表やめるかもの件ですが、実際やめました。光明が見えてきたことが一番の理由です。

その光明の一つとなった昔の論文を引っ張り出してまた読んでいます。必要の程度が違ったので、昔は気楽に読んでいたのですが、今、現実に重要な課題として読み直してみると、かなり難しい内容です。ただ、基本のそのまた基礎となる手法、あるいは方向性としてはそっちで行ってみようと決めたので、気楽に読み飛ばすわけにはいきません。

また、その論文で構築されて居る技術をそのまま使えるわけではないので、というかかなり拡張や変更をしないとならないことが予想できます。そんなことが私の頭でできるのか、そんな不安もあります。でも、やらなければ目的に一歩近づくこともできないので、やらないわけにもいきません。

また、その手法の系統で行くとして、データというか情報をどのように表現したり管理するのかという問題もあります。これも頭を悩ませている問題です。要は、研究関連で書いた二重構造をどう表現すればいいのか、さっぱり分かりません。いや、そもそもどういうデータや情報をどういう形式で書けばいいのかを悩んでいる最中なのですが。

光明は見えたものの、先は長そうです。

ところで、論文を投稿してから一ヶ月が過ぎていますが、学会のページをみると、まだ査読中になっています。論文中に書いた数値の再確認も早めにやっておかなければ。また、それにミスがあったりした場合や、投稿後に見つけたタイポも、もし条件付採録以上になったら、再投稿(万が一一発受理の場合には最終稿になりますが)の提出の時には直しておかないといけません。それらのチェックもやらないといけません。

やることが山積みです。

はじまりを見つけたと思ったら

学生とやっている研究に関連して、卒論で紹介したり、他の似ていたり関連しているものとの比較を書いといた方が良さそうな研究を見つけました。ただ、そのグループが出している最近の論文そのものに触れるというよりも、最近の論文でも使っているモデルについて触れておいた方が良さそうだというものです。そこで、論文の参考文献を辿って(Google Scholar、IEEE Xplore他にお世話になりました)、そのグループがそのモデルについて書いた報告のおそらく最初の論文を見つけました。少なくとも参考文献で、そのグループのその研究について辿るのはそこで行き止まりです。

結果、ちょっと困りました。論文を読むと、そのモデルはそのグループが独自に構築したものではなくて、別の方の書籍の内容が元になっているみたいです。しかも、その元になった書籍の内容とは若干モデルが違っているらしいです。どのように現在のモデルが構築されたのか、統計的な定量的分析がどうなっているのかなどの記述を期待していたのですが、行き着いた論文ではそのあたりの説明が無いみたいです。

そうなると、まぁ、その元になった書籍を買うしかないわけで、実際amazonで買いましたけど。その書籍の方に期待するしかありません。ただ、その書籍の名前から、「どうなんだろう?」っぽさが漂っているのが不安なのですが。

ともかく、見つけた論文のグループが使っているモデルは存在しているわけで、それには卒論で触れさせないといけないわけです。しかし、こうなると、そのモデルの元になった方にも触れさせないといけないですね。

でも、元になったモデルとは若干異なるモデルを採用している理由とか、まったく発表していないのでしょうか? 要確認事項ですので、継続してGoogle ScholarやCiNiiその他(もちろん図書館も)の助けも借りて探してみます。

Google Apps SE その3

今日、Google AppsのSitesに1つ2つ外部のページへのリンクを追加していて気づいたことがあります。リンクを張ると、googleを経由してジャンプというかリダイレクトで行き先のページに飛ぶようになります。当然リンクの設定時には目的のページのURLを直接書いているにもかかわらず、登録あたりのタイミングでgoogleを経由するように自動的に修正されます。

検索エンジンが主体の会社なので、何かそれに関連して情報を集めたいのだと思います。しかし、何かちょっと気持ち悪いです。Google Apps自体にはユーザ登録してアクセス制限もできますし、基本的にhttpsでの通信になるようですので、データ自体が盗聴などをされる可能性は低いとは思いますが。もちろん、ユーザIDやパスワードの管理がどうのこうのという問題はどうしようもありませんけれど。

このリンク先のURLおよびページの内容の扱いはどうなっているのでしょう? 例えば内緒のページを持っていて、Sitesにそこへのリンクを書いてしまったらどうなるのでしょうか? 普通に誰もの検索の結果にも影響するのでしょうか? あるいはgoogle内でのコーパス構築、検索キーワード候補の作成、その他に使われる程度なのでしょうか?

もっとも、それを言ったら、Sitesに書いた内容の機密性は大丈夫なのかという疑問も出てきます。Sites内での一般公開と設定されているページ以外のデータを、検索エンジンの辞書(?)構築の際に隔離しておかなければ、あるいは隔離していないのであれば検索結果を出力するプログラムにちょっとミスがあれば、ユーザ登録している人にしか見せたくないページの一部であったとしても検索結果に表示されかねません。そうなると、Sites内のどんなURLに大雑把に何について書かれているかの推測も不可能ではありません。同じことは、上に書いた内緒のページへのリンクについても言えます。

はてさて、googleをどこまで信用していいのやら。悩みどころです。信用したとしても、上で書いたデータの隔離の問題やら、検索結果の出力の問題やら、人為的なミスが入る余地は多分あるわけです。

人為的ミスは意図的に試すことはできませんが、Sitesに書いたリンクがどのように検索結果に反映されるのか、されないのか、ちょっと試してみたいと思います。

いくつかの学科、学部、大学などでGoogle Appsの導入が検討されているという話を聞いていますが、もしかしたら注意が必要かもしれません。

家畜化

えーと、家畜化された種と、その野生種では、家畜化された種の方が脳容積が小さいという話を学生の頃に聞いたことがあります。また、人間の脳容積も数万年前(もっと前?)の化石と比べると小さくなっているという話も学生の頃に聞きました。で、人間は自らを家畜化しているという話も。

ちなみに、去年の秋頃のNHKスペシャルだったと思いますが、いろいろな時代の人類(?)の頭骨の化石からその内部の形状を形取りした結果、120万年前の化石ではそれまでには見られなかったブローカー野(だったと思いますが違うかもしれません)の発達が見られたなんて話もありました。

とは言え、化石になって残る確率はかなり低いわけで、脳容積が云々というのも統計的に有意なのかどうかは知りませんけど。

もちろん、脳容積がそのまま知的能力に直結するわけではないということです。例えば鯨(鯨の全部の種かどうかは知りませんけど)や象は人間より大きな脳を持っているらしいですが、それが少なくとも人間のような知的能力としては現れていないわけです。

で、この人間自身による自らの家畜化がなぜ起こっているのかというと、その一因はルールを作ってそれに従っているからだと、上の話と同様に学生の頃に聞きました。

もちろん、社会生活ないし集団生活を送っていくうえで、ルールを作り、それに従うことは避けられないでしょう。あるいは、記録を取り、必要な時には過去の記録を参照して行動するなどということも、個々のルールは定まっておらずともメタルール的ではありますがやはりルールに従っていると言えるでしょう。だとすると、文字の発明がシュメールかその前あたりで紀元前3000〜4000年あたり、今から5000〜6000年前くらいだったと思いますが、その頃から人間の家畜化が始まったのか、速度が増したのかという可能性も考えられます。もちろん、何の証拠もありませんが。

私自身、今の職場で環境マネジメントシステムを立ち上げる仕事をしたり、情報セキュリティマネジメントシステムをいろいろとやっていたりします(情報セキュリティマネジメントシステムの方は年明けから忙しくなるのかな? 認証を得るわけではありませんが)。これらのマネジメントシステムには、「確認」と「見直し」が要件に入ってはいますが、実際のマニュアルとか手順書などについては「そう書いてあるからそれに従う」という人が居るであろう事も否定できません。もちろん、「何が決まっていようと自分の好きなようにする」という人も居ますが。

そういうルールを作ること自体は否定しませんし、社会的に外部から見て組織に対する信頼を得るためにルールと体制を整えることはどうしても必要でしょう。何に対してであれ、その場その場で対応していたのでは信頼を得ることは難しいでしょうから。「臨機応変」という言葉もありますけど、それは「確認」・「見直し」や、それらのための対応ということで。

で、何を言いたいかというと、いろいろなことを記録やマニュアル化することによって、特に近年でもないですけどプロセス・マネジメント(で良いのかな?)を追求する方向というのは、人間が更に自らの家畜化を進めているような方向性にも考えられるような気がしないでもないわけです。

進化には後戻りはないと言われるそうですが、さて、どうなることやら。もしかしたら、たんぱく質から抜け出ざるを得ない方向に邁進中なのかもしれません。

ただ、危惧するのは、マニュアル化された社会の中で育って来た人たちのことです。私なんかは、「気に入らないルールは変えればいい」という考えを基本的には持っています。学生時代にそれに基づいて行動して、偶然も重なって(というより現実にはそっちの影響だけでしょうが)、あるものを変えさせた事があります。しかし、マニュアル化された社会の中で育ってきた人は、「ルールは従うもの」という意識の方が強いような気がします。大丈夫なんでしょうか?
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