2011年02月

HP 15C

HPの、15Cという古い関数電卓がありまして、私はそれを持っていたり、常用してたりするわけです。先ほども使おうと思って、ケースというか袋というかから取り出したところ、電圧が低いみたいな表示が出ていたので、電池を買ってきて入れ替えました。

これも長い付き合いですね。買ったのは大学何年のときだろ? 新宿紀伊国屋の裏の別館の2Fで買ったような気がする。

「今時、電卓? 表計算ソフトを使え」とか、「グラフも表示できない」とか言われそうですが、馴染んでしまっているので、つい手が伸びてしまいます。

この、「スタックの残りはいくつだ?」とか気にしながら計算するのが、何か癖になってます。普通の計算の時には、実際はそんなことを気にせずともだいたい大丈夫なわけですが。

あ、そうか

一つ前のエントリに、こんな文言を書きました。

>大学は、情報を公開する必要などないと思います。

まぁ、このblogは私的に書いているものですし、見てる人も少ないので、気軽にこんな書き方をしてますが。

昔から、私はこういう言い方をすることがあります。この場合も、本音は「情報を公開する必要などない」と思っているわけではありません。過度な、あるいは意味の無い情報を公開する必要などないというのが本音です。どの程度が過度であり、どのような情報が意味が無いのかは判断が難しいですが。

例えば、インターンシップの実施率。インターンシップを名乗るところは、受け入れ期間が一週間でも名乗るみたいです。それをインターンシップと言っていいのでしょうか? だとするならば、学生がバイトをしていたら、そのほうがよっぽど実質的なインターンシップではないでしょうか?だという場合もあるのではないでしょうか?(訂正:2011/02/26, 06:33) 一週間(要は5日)のインターンシップも、2ヶ月(とか6ヶ月?)のインターンシップも、一まとめにインターンシップと呼んでいいのでしょうか?

いろいろな情報を出したところで、このインターンシップの例のように、「実際のところはどうなの?」というあたりが、掲載されている数値や文字列では何も判断できないのでは、意味が無いと思います。あるいは、「そこのとこは実際どうなの?」ということを確かめる、反応の良さというものが、高校生などには要求されると思います。

「情報」は語る

Yomiuri Online > 大学の実力 > 「情報」は語る

> 例えば早稲田大学。1、2回目の「大学の実力」調査では、退学率や
>卒業率など主要項目で無回答が目立った。
[略]
> ところが昨年は、全項目に回答があった。

「大学の実力」の抜粋冊子をもらってますが、意味のない項目ばかりのように思います。それに全項目回答したからと言って、何の意味があるのか?

大学は、情報を公開する必要などないと思います。中身を知りたければ、高校生などが大学に潜り込んだり、講義に潜り込んだり、事務に聞いたり、先生を訪ねて行けばいいだけの話です。何とか率などという数字では見えないことがはっきりと見えてきます。

大学に潜り込むのは誰も咎めません。講義に潜り込んだって、教員が見慣れない学生を見つけても、「ヘー、高校生で見に来てるの。じゃ、見てってね」で終わりです。教員を訪ねるのなんて、例えば修士や博士への進学だったらあたりまえ。高校生がやったって、教員側は大歓迎です。

私も、高校生のときではなく、大学1年のときだったと思いますが、興味のあることをやっている他大学の先生を訪ねたことがあります。お昼もご馳走になって、長時間いろいろと教えていただきました。修士に進学するときも、他大学の先生を訪ねて、やはり長時間いろいろとお話を伺いました(考えてみれば、半分面接だったのかも。結局はそこには進学しませんでしたが。きちんとお詫びの手紙を出しましたよ)。

情報を受け取る側にとっては、大学側が情報を出した方が楽でしょう。時間もかからないし、足代もかからないし。でも、その「楽」は、何かと引き換えにして得ているものだと思うべきでしょう。例えば「熱意」とか。

そういえば、まぁこの話にぴったりというわけではありませんが、小学館の週刊少年サンデーに連載されていた皆川亮二先生(原作が誰だったかな?)のARMSという漫画に、こういう言葉が出ていましたね。

人の足を止めるのは絶望ではなく「諦め」
人の足を進めるのは希望ではなく「意思」
Webブラウザを眺めたり、冊子を眺めるのが「意思」ですか? 「行動」ですか?

ペンめっけ

本に書き込みするペンを探していました。線を引くとかは、ぺんてるのマルチ8とか、その無印へのOEM品を使っていました。書き込みはシャープペンシルを使っていたのですが、こすれたりとかあって…

で、探してみたら、ZEBRAのSARASA clipにグレーってのがあります。顔料系らしいし、色もいい感じです。探せばあるものですね。

あ、でも洋書の安いペーパーバックにはもしかしたら無理かも。地が灰色っぽかったりするからなぁ。試してないのでなんとも言えませんが。

ふと思ったんだが

世の中にプログラミング言語がいくつあるのかを知っている人は誰もいないと思う。というか、知るのは不可能。ちょっとした処理用の使い捨て言語みたいなのも作られてるわけなので。

で、プログラミング言語もご他聞にもれず工業規格で規格化されてたりする。ある言語についての処理系が、その規格どおりのものしかないのなら、その言語は1つしか存在しないってことになるだろう。

だけど、例えばRubyでも、CRuby(これが普通に言うRuby)とか、JRuby(Javaでの実装)とかある。このあたりも、まぁ言ってしまえばまつもとさんの決定が神の声ということになるかもしれない。

ならば、Lispはどうなんだっていうと、さすがに歴史があるだけあって、もう混沌としてる。eval, applayだったか逆だったかどうだったかだけが同じというくらいにばらついてるようにすら思える。最近は括弧をあまり使わないようにした方言も作られてたはず。名前を忘れてしまったのでサイトを見つけられませんでしたが。

で、Lispなんかを見ていると、「これは新しい言語である」という基準てどこにあるんあろうと思ってしまいます。機能を増やしたから? ならいくつ増やせばいいんでしょう? 新しい概念を組み込んだから? それを組み込むことで言語が明らかに変わるのでしょうか? これらは、バージョン番号を上げるのには充分な理由だと思いますが。

結局、作った人が命名するかどうかということなんでしょうか。
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