先に、「ドラえもんはヒトか?」とか、フィンのこととか書いたのでついでに。
宇宙人にせよ、ドラえもんにせよ、フィンにせよ、チンプにせよ、ヒトかどうかという問題は、感情面を除いて形式として考えると、人権が認められるかどうかだと思う。
知性化戦争シリーズ内でフィンやチンプの人権に触れられてたかは覚えてない。ただ、フィンは宇宙船を任されてたりするので、人間と同じではないとしても、それなりに人権みたいなものが認められてる世界なんじゃないかと思う。で、知性化戦争の世界だと、知性化を受けた種族は、知性化をした種族に何万年か奉仕するという慣例になってる。地球人を誰が知性化したのかも分からないので、地球人は誰にも奉仕してない。おまけに勝手にフィンとチンプを知性化してる。ついでに言えば、フィンとチンプに奉仕もさせず、宇宙船を任せたりしてる。あの世界では、「なんて非常識な連中だ」と、基本的には思われてる。一応、後見役を名乗り出た種族は居た気がする。
でも、あの世界での人類は、何を持ってフィンに宇宙船を任せようと判断したんだろう。シリーズとしては、まぁ「知性」って奴なんだろうなと思う。だが、知性って何なんだろう?
ちょっと話を変えてみる。
アジモフの200周年を迎えた男、長編のPositronic Man (邦題: アンドリュー NDR114) では、主人公であるロボット、アンドリューが、自由なロボットになるための裁判を起こした。そこでアンドリューは、「自由という概念を理解し、それを望む者が自由になれる」という主張をする。これはちょっと考えると、微妙にまずい主張だ。だが、何かを理解するということはたぶん重要なことだろう。まぁ、裁判は負けた。
さて、それ以後(以前もだったかも)、アンドリューは人工臓器の研究をし、その応用として自分の体をそれに置き換えていく。んー、あれ?裁判の前だったかも。まぁ前後関係はともかく、パーツを置き換えると、自分が開発した人工臓器と置き換えた人間と何が違うのかと言う。しかも、研究者達からは事実上ヒトとして扱われているのだ。しかし、それでもヒトとは認めてもらえない。その時(んー、上に書いた裁判の時の事だったかも)、脳か人工の陽電子脳かは大きな違いだと言われたように思う。
そこでアンドリューは、脳の問題はどうしようもないが、それ以外に人間と自分との根本的な違いは何かと考え、それは不死性だと結論を出す。小説では陽電子脳の回路に外科的細工をし、映画だと血液の注入という描写になってる。いずれにせよ、自分の活動時間に限界を設定したわけだ。
私は、この結論は誤りだと思う。ヒトであるかどうかは、不死性の問題ではない。ちなみに、後期ファウンデーションシリーズ(というより総決算シリーズと言った方がいいかも)では、ファウンデーションが創設される遥か以前の世界である、宇宙の小石と鋼鉄都市(どっちが先だっけ?)に登場していたロボット、R・ダニール・オリバー(wikipediaだとオリヴォーってなってる。そうなんだろう。)は不死を選択し、ある意味で神のような存在となっている。ファウンデーションシリーズにおいて、銀河系に人類しか知的種族が存在しないのは何故かという問いに対して、彼は「そういう世界を選択した」と答えている。まぁ、これは作者の言い訳でもあるのだろうが。ただ、こう答えることで、「永遠の終わり」(だったと思う)も絡んでくるな。そしてそれを選んだ、あるいはそれを人類に選ばせた存在となっている。彼の場合、もうヒトを超越してはいるものの、ヒトより上位の知性体を認めない限り、ヒトと認めるかと言われれば、認めるしかないだろう。
さて、アンドリューは、起動後200年を迎えることになる。人間は、彼がモータルであることを選んだ事に心を動かされ、200周年にあたって彼をヒトと認めることとなる。しかし、彼は活動限界を向かえ、彼をヒトと認めるという発表を聞いたかどうかは分からない。だが、最後に彼は「リトル・ミス」と呟く(映画だとこのあたりは全く違う。小説のほうがずっといい)。その時、彼の脳裏に何が浮かんでいたのかは分からない。いや、小説には何がしか書かれていたかも。いずれにせよ、彼を最初に迎えた家族の中で、彼に名前を与えた「小さなお嬢様」を思い出していたのだろう。それは、おそらく彼とともに時を過ごした、最初の家族に連なる一族との記憶もあったかもしれない。
私は、問題はそこだと思う。モータルであることではない。また、記憶でもない。いや、単なる記録よりも、記憶の方がずっと適切だろう。そうした記憶も含め、彼が「リトル・ミス」と呟いたとき、彼の陽電子脳に何が存在したかだ。実際には(?)、その時よりずっと前から、彼の陽電子脳には存在していたはずのものだ。そして人間の脳にも存在しているはずのものだ。当然、進化+知性化によるフィンとチンプの脳も持っているはずのものだ。
まぁ、アンドリューの個体の陽電子脳の特性も偶然の産物とされているし、実際そこまでいくには相当時間がかかるだろうけど。
てなことを書いてると、現実とSFの区別がついてないとか言われるかも。じゃぁ、ヒトとは何か定義してみろとか思うけど。SFは私にとってはカタパルトだ。私より賢い人達が、いくつもの可能性を見せてくれて、押し出してくれる。
SFと現実の区別がどうこうというつまらない話より、そもそも、人類だけだなんて寂しいじゃないか。
宇宙人にせよ、ドラえもんにせよ、フィンにせよ、チンプにせよ、ヒトかどうかという問題は、感情面を除いて形式として考えると、人権が認められるかどうかだと思う。
知性化戦争シリーズ内でフィンやチンプの人権に触れられてたかは覚えてない。ただ、フィンは宇宙船を任されてたりするので、人間と同じではないとしても、それなりに人権みたいなものが認められてる世界なんじゃないかと思う。で、知性化戦争の世界だと、知性化を受けた種族は、知性化をした種族に何万年か奉仕するという慣例になってる。地球人を誰が知性化したのかも分からないので、地球人は誰にも奉仕してない。おまけに勝手にフィンとチンプを知性化してる。ついでに言えば、フィンとチンプに奉仕もさせず、宇宙船を任せたりしてる。あの世界では、「なんて非常識な連中だ」と、基本的には思われてる。一応、後見役を名乗り出た種族は居た気がする。
でも、あの世界での人類は、何を持ってフィンに宇宙船を任せようと判断したんだろう。シリーズとしては、まぁ「知性」って奴なんだろうなと思う。だが、知性って何なんだろう?
ちょっと話を変えてみる。
アジモフの200周年を迎えた男、長編のPositronic Man (邦題: アンドリュー NDR114) では、主人公であるロボット、アンドリューが、自由なロボットになるための裁判を起こした。そこでアンドリューは、「自由という概念を理解し、それを望む者が自由になれる」という主張をする。これはちょっと考えると、微妙にまずい主張だ。だが、何かを理解するということはたぶん重要なことだろう。まぁ、裁判は負けた。
さて、それ以後(以前もだったかも)、アンドリューは人工臓器の研究をし、その応用として自分の体をそれに置き換えていく。んー、あれ?裁判の前だったかも。まぁ前後関係はともかく、パーツを置き換えると、自分が開発した人工臓器と置き換えた人間と何が違うのかと言う。しかも、研究者達からは事実上ヒトとして扱われているのだ。しかし、それでもヒトとは認めてもらえない。その時(んー、上に書いた裁判の時の事だったかも)、脳か人工の陽電子脳かは大きな違いだと言われたように思う。
そこでアンドリューは、脳の問題はどうしようもないが、それ以外に人間と自分との根本的な違いは何かと考え、それは不死性だと結論を出す。小説では陽電子脳の回路に外科的細工をし、映画だと血液の注入という描写になってる。いずれにせよ、自分の活動時間に限界を設定したわけだ。
私は、この結論は誤りだと思う。ヒトであるかどうかは、不死性の問題ではない。ちなみに、後期ファウンデーションシリーズ(というより総決算シリーズと言った方がいいかも)では、ファウンデーションが創設される遥か以前の世界である、宇宙の小石と鋼鉄都市(どっちが先だっけ?)に登場していたロボット、R・ダニール・オリバー(wikipediaだとオリヴォーってなってる。そうなんだろう。)は不死を選択し、ある意味で神のような存在となっている。ファウンデーションシリーズにおいて、銀河系に人類しか知的種族が存在しないのは何故かという問いに対して、彼は「そういう世界を選択した」と答えている。まぁ、これは作者の言い訳でもあるのだろうが。ただ、こう答えることで、「永遠の終わり」(だったと思う)も絡んでくるな。そしてそれを選んだ、あるいはそれを人類に選ばせた存在となっている。彼の場合、もうヒトを超越してはいるものの、ヒトより上位の知性体を認めない限り、ヒトと認めるかと言われれば、認めるしかないだろう。
さて、アンドリューは、起動後200年を迎えることになる。人間は、彼がモータルであることを選んだ事に心を動かされ、200周年にあたって彼をヒトと認めることとなる。しかし、彼は活動限界を向かえ、彼をヒトと認めるという発表を聞いたかどうかは分からない。だが、最後に彼は「リトル・ミス」と呟く(映画だとこのあたりは全く違う。小説のほうがずっといい)。その時、彼の脳裏に何が浮かんでいたのかは分からない。いや、小説には何がしか書かれていたかも。いずれにせよ、彼を最初に迎えた家族の中で、彼に名前を与えた「小さなお嬢様」を思い出していたのだろう。それは、おそらく彼とともに時を過ごした、最初の家族に連なる一族との記憶もあったかもしれない。
私は、問題はそこだと思う。モータルであることではない。また、記憶でもない。いや、単なる記録よりも、記憶の方がずっと適切だろう。そうした記憶も含め、彼が「リトル・ミス」と呟いたとき、彼の陽電子脳に何が存在したかだ。実際には(?)、その時よりずっと前から、彼の陽電子脳には存在していたはずのものだ。そして人間の脳にも存在しているはずのものだ。当然、進化+知性化によるフィンとチンプの脳も持っているはずのものだ。
まぁ、アンドリューの個体の陽電子脳の特性も偶然の産物とされているし、実際そこまでいくには相当時間がかかるだろうけど。
てなことを書いてると、現実とSFの区別がついてないとか言われるかも。じゃぁ、ヒトとは何か定義してみろとか思うけど。SFは私にとってはカタパルトだ。私より賢い人達が、いくつもの可能性を見せてくれて、押し出してくれる。
SFと現実の区別がどうこうというつまらない話より、そもそも、人類だけだなんて寂しいじゃないか。