2013年06月

ワタミン

さて、わたなべ社長がこういうことを書いている
「ブラック企業」と呼ばれることについて

で、わたなべ美樹氏「離職率や平均残業時間といったデータを開示することには大賛成だ」という記事がある。
こちらでは「正しく情報を提供することには賛成です。」と述べている。なるほど素晴らしい。

上の方のリンク先を読まれた方はどのような印象を持たれただろうか?できれば少し記載されている人数にも注意を向けて読んでいただけると、後の話がしやすい。

記事は、まず何%かとか平均値が示されている。その数値自体は正しい情報なのだろう。ただし、母集団の人数が記載されていない(ホームページ参照ということかもしれないが)。だが、何%と言っているが、それは何人なのだろうか? また、平均値は、それのみでは大して意味を持たない。細かい話はしないが、(0+100)/2 = 50であり、(50+50)/2 = 50だ。つまり、母集団がどういう分布になっているかについての情報がなければ、意味が無い。(なお、サービス残業あたりは実態がわからないのでここでは考えない。)

さて、少しばかりメンタルヘルスのところに注意して、上の方のリンク先を読んでいただきたい。どう思われただろうか?もしかして、「3万人に対して4人」という印象を持った方はいないだろうか?そのような方がいなければ、幸いである。あるいは、「なぜここだけ4人という人数を出すのだろう?」と思った方がいれば、幸いである。

メンタルヘルス関連の割合は、0.30%だ。0.30%が4人に相当するということは、母集団の数はどうなるだろう?

x * 0.003(=0.30%) =4

このxを求めてみよう。

x = 4/0.003 =1,333.3

まぁ1,333人だ。もし、この人数を見て「あれ?」と思われた方がいたとしたら、私がこの記事を書いている意味が存在することになり、私はとても嬉しい。

2番めのリンク先でわたなべさんが言っている通り、1番めのリンク先では間違った情報は提供していないのだろう。それは、つまり正しい情報を提供するという主張には矛盾しない。どの数字も間違いではないのだろう(時間外労働については、サービス残業などの情報がないため、とりあえずその数字が正しいかどうかの判断は保留する)。

しかし、どのように情報を出すかによって、その情報は意味のあるものにもなるし、意味のないものにもなる。そして、どのように情報を出すかによって、読み手が受ける印象が違う可能性もある。

つまり、正しい情報を出すだけでなく、情報は正しく出さなければならないのだ。

あくまで想像でしかないが、わたなべさん、あるいはブレインは、情報をいかに出すべきかを知っているのだ。そうでないなら、なぜ母集団の分布について僅かなりでも書かないのかが疑問になる(これは単に、書くとしようとするとblogの記事としてはややこしいからかもしれない)。そして、なぜメンタルヘルスにおいてのみ具体的な数字を書いているのかが疑問となる。いちいち「ワタミの外食事業」と書き、「パートさんやアルバイトさんを含めると〜」と書いているのだ。メンタルヘルスに関して「4人」と書く理由はない。母集団が違うことを書いているからだ。

まぁ、この手の話はこの場合に限った話ではない。どの個人、組織、企業、官庁、政府が出す情報であれ、同じようなことはありうる(というか、一部は明らかに存在している)。数字や表やグラフ、そしてそれらに対する説明は注意して読むようにしたいものだ。

問題設定の間違いからは、妥当な解は得られない

教育再生実行会議第3次提言より
3.学生を鍛え上げ社会に送り出す教育機能を強化する

えーと、この項目は大学教育についてのものですが、おそらく全体の根底にある考えが現れていると思います。まぁ、要は「展望や、知識・スキルは、教育によって身につけさせるものだ」ということかと。果たしてこの仮定ないし問題設定は妥当なものなのでしょうか?私は、根本的に誤ったものだと思います。

●展望について:
幼稚園の砂場で遊んでいる時に、ある疑問が浮かびました。その疑問自体は特別なものではなく、私が聞いた範囲ではありふれたものです。誰もが子供の頃に疑問に思ったことがあるようです。その疑問自体は、文字にすると日本語だと15文字に収まる程度のものです。ただし、あまりにも多義ですが。私の場合、その時以来、その疑問にとりつかれています。

展望とは、そういうものではないでしょうか。「現状を見て、設計しましょう」というものではない。とにかくやりたいことがあるから、そこから逆算するようなものです。私の場合、あまりにも多義だったので、何を選び何を捨てるかの連続でした。

●教育によって身につけさせるものだについて:
「教育によって身につけさせる」という認識が、そもそも誤りであり、傲慢です。

小学校からの英語教育の話題があるので、とりあえずその題材で。英語教員に限りませんが(日本語教員も当然含みます)、学生の疑問に対して、民族語ゆえの部分は最終的には「XX語だから」という答えしか出来ません。しかし、それ以外の部分、あるいは最終的にはに至る過程については可能な限り、「XX語の文法はこうだから」などの解答でお茶を濁すのは避けて欲しいものです。 そこでさっさとお茶を濁す教員については、私の場合、子供の頃からその段階で見切りをつけていました。まぁ、語学教員については何語の教員だろうと、言語学を専攻した学士から修士に準じる理解が欲しいところですね。

 これは、語学に限った話ではありません。例えば、「1+1はなぜ2になるのですか?」という質問に、「鉛筆を並べると〜」とか「そうなるでしょ」みたいな返答が返ってくる時点で、この人には質問をするだけの価値はないと判断していました(まぁ、小学生相手に1+1=2の証明を説明されても理解出来ませんが)。

追記(2013-Jun-07 02:05) ==== BEGIN
S.N.A.氏のコメントにより、「見切りをつける」、「価値がない」について書き方が良くないと思いましたので、補足します。

それらはあくまで教科について私個人の話であり、先生の教師としての技術・能力、人間性とはまったく別の話です。今でも尊敬している先生は何人もいます。

あ、でも、親父の先輩の先生が、入学から卒業まで私を呼ぶときに親父の名前で呼んでたのには参った。悪意でのことではありませんし、辛かったとかでもありません。何というか、身内が教壇に立ってるみたいで恥ずかしいというかなんというか。もちろん、今でもその先生は尊敬しています。私が、日常っぽいところを知ってる先生も何人もいたり。あれはあれで、学校でどうしたもんだかと思ったり。もちろん、その先生方も今でも尊敬しています。あ、これも余計な話だ(笑)。
==== END

 まぁ、その意味で、教員の知識量とかどうでもいい話です。学ぶ側自身が早い段階で、「自分で学び、考えるものだ」と理解できるようにする方が良いのではないかと思います。こここそを課題とし、提言の内容とすべきです。

追記(2013-Jun-07 11:30) ==== BEGIN
ちょっと仕事で煮詰まったので、読み直してみたところ、『「教育によって身につけさせる」という認識が、そもそも誤りであり、傲慢です。』ってあたりに補足が必要かなと思ったので。

えーと、教師が何かを教えたとして、それを覚えるとか使えるようになるとかってのは、教師の側からはどうにもできないってことです。学ぶ側が覚えようとしなければ覚えられませんし、二次方程式の解の求め方を教わっても、連立方程式の解き方を教わっても、実際に自分でやってみないと結局のところよく分からないですよね。教える側は、学ぶ側を「分かった気分」にはできます。でもそこまでしかできません。教える側が、そこから先ができると思うのであれば、それは傲慢(いや、なんか違うか?)というものではないかと思います。脳にダイレクトに書き込みできれば話は別ですけど。そういう話です。
==== END

もちろん、環境は必須です。この点だけは提言のとおりです。では、教育機関にどういう意味があるのか?「世界や知的世界はこんなにも広いのだ」ということを示すこと、「学ぶ方法はいくらでもある」ことを示すだけで充分です。大学であれば、講義は必要ありません。「この講義については、この50冊を読んでおけ」というリストを掲示板に貼るだけで充分です。ただし、学生の疑問については、とことんまで付き合いますが。

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私の場合、両親がとことんまで疑問に付き合ってくれました。付き合いきれないとなると、伯父に投げました。

伯父もまたとことんまで議論してくれました。もちろん、そもそも伯父の専門外だとか、議論が進んだ結果として伯父にも分からないことがあります。その時は、「私には分からない」と言ってくれました。「XX語だから」という返答で、説明した気になるよりははるかに誠実です。学ぶ側にしても、「分からないことだらけだ」ということが分かります。

また、議論が進むと、私の段階では理解できないことも当然出てきます。その場合、「こういう知的世界がある」ということを示してくれました。

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教育とはそういうものなのです。

スパコン京の次のプロジェクト

まぁ、「京の後継機」という表現をしているところもありますが。アーキテクチャとかいろいろどうなるかわかりませんし、そうなると後継機という表現が妥当かどうかもわかりませんので。

スパコン世界一なるか 「京」後継機、1000億円で(日経)

京の時には、蓮舫さんの「2位じゃだめなんですか?」というのが有名になりましたが。いやぁ、2位を狙うというのは1位を狙うより難しいだろうなぁと思ったりもします。まぁ、お金の話をしているときに、何位かという話が出てきたのも理解できなかったのですが。かけたお金と順位が比例すると思ってらっしゃったんでしょうか。

今回のものも、いろいろ意見があるみたいです。声が大きいのは次の2つかなと思います。

  1. 外から買った方が安いから外から買え
  2. 震災復興など、より重要なものに金を使え
どちらも、間違った主張ではありません。2については、反論は難しいかなと思います。感情的な部分もありますし。しいて言うなら、「1000億で足りますか?」というくらいかと。

で、1の方です。求めるものが計算速度であるならば、そのとおり、買えばいいと思います。

国立天文台、約502TFLOPSのCray製Xeonスパコンを運用開始(PC Watch)

このような例もありますし。

ただ、問題なのは、求めているものが計算速度なのかという結構根っこの部分です。

こういう書き方をすると、「計算機に計算速度以外の何を求めるのか?」という考えもあるかもしれません。そういう方には、「その速度を達成しているのは何によってですか?」と聞いてみたいと思います。

まぁ、「世界一」なんて言葉は無視すればいい話ですが、こういう言葉のほうが人を惹きつけたり、分かり易い気分にさせるので使うのでしょうね。それよりも「エクサ級」の方が大事なのですが。

で、考えてみて欲しいのが、エクサ級というのが「現状のままで達成できるのか?」ということです。現状のままで達成できるのであれば、それは既に達成されていなければ理屈に合いません。既に達成されているのでないならば、それがどのように小さなものであれ、何がしかの技術の進歩が必要だということです。

そこで問題なのが、求めているのは計算速度なのか、技術の進歩なのかというところです。

この手のプロジェクトだと、結局は両方ということになるわけですが、なんにせよ技術の進歩を求めてのものなわけです。それも独自の。先の「何によってですか?」は、技術によってなわけです。

「技術だって買えばいい」という意見もあるかもしれません。ただし、それは技術開発や研究というものを放棄することになります。知的財産(ノウハウも含む)の蓄積や、人材の育成というものを捨てるのであれば、「技術も買う。物も買う」という方向でかまわないかと思います。その場合、知財の蓄積、技術などの継承、人材の育成が止まり、ついでに人材の流出という方向になるでしょう。買うだけの金がある間はいいですけどね。

たとえば、ヨーロッパのHuman Brain Project (これってBlue Brainが起源なのかなぁ)や、アメリカのBrain Initiative、日本の霊長類の脳の分析なんかはグランドチャレンジとなっています(あ、日本のはグランドチャレンジじゃないかも)。まぁアメリカの機関もHuman Brain Projectに参加してるでしょうけど、なのになぜ独自にプロジェクトを立ち上げるのかってのと同じです。あと、Human Brain Projectにせよ、Brain Initiativeにせよ、「金額がちょっと安くない?」と思われるかもしれませんが、Human Brain Projectだと2023年までということなので、期間、金額も同程度かと。あとは、これを呼び水にして世界中からお金が出るからかと思います。
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