2013年08月

ぴんとこな(だっけ?)

この間、そういうTVドラマを見たので。

見ていて、「うわ〜」と思った。UI設計的な見方をすると、「やってはいけないこと」をガンガンやっている。

もちろん、それは音響効果の人が頑張っているから。なぜそんなに頑張っているのかと、なんとなく思ったのは2つくらい理由が考えられる。1つは、音響効果で視聴者にどこまで迫れるかを試している。ただし、これは昔からある手法も使われているので、改めて試しているというのとも違うかもしれない。もう1つは、役者が演技できないので、それを音響効果でカバーしようというもの。

UI的な考えだと、何もかも透明でユーザがなにも意識しないで使えるというのが理想だと思うので(万能UIがあるという意味ではなく、UIの選択もユーザの義務(?)という前提で)、2重の意味でイライラした。

はだしのゲン騒動について

詳しい事情は知りません。そういう前提で読んでください。

何となくですけど、「閉架」という言葉とかシステムが知られていないとか誤解されているというのがそもそもの発端のように思えます。いまどきの小学生の親が、閉架というものを知らないというのも考えにくいような気もするのですが。

実際の管理上の分類がどうなっているのかは知りません。あくまで図書館の利用者としての知識しかありません。(国際やら日本やらの十進分類法とかありますが、利用者としては今どきどれくらい役に立つかなぁ…)

で、図書館や図書室に入って普通に目にする本棚があります。この類を「開架(あるいは開架書庫)」と言います。それに対して、移動式の書架を使って、書庫の中の一列というかなんというか(二列とかの場合もあります)のスペースだけ開けて、そこに入って本を取ってくるような書庫があります。移動式の書架というは、ハンドルを回す手動式とかもあれば、ボタンで操作する電動式のもあります。例えば一列というか一人入れるだけのスペースを開けて、それ以外は移動式の書架がびっしりという感じです。そういうのを「閉架(あるいは閉架書庫)」と言います。実際の所、小学校の閉架というのは、もしかしたらダンボールに入っている状態かもしれません。要は、閉架というのは、開架よりも高い密度で本を置いておく方式です。ダンボールの場合はともかく、移動式書架だと、そもそも利用者が勝手にひょいひょい入れる状態だと、利用者自身にとって危険な場合もあるため、司書さんとかに申し出ないと入れないこともあります。

えーと、もし、この段階で「閉架って知らなかった」という人は、近くの図書館に行って、教えてもらってください。

さて、「小学校の閉架というのは、もしかしたらダンボールに入っている状態かもしれません。」と書きました。そう書くと、「結局利用者は見れないじゃないか」という話も出てくるかもしれません。そこで問題になるのが、「ある図書が、その図書館なり図書室の管理下にあるかどうか」です。その図書館なり図書室の管理下にある場合、基本的には検索カードや、今だったらPCでの蔵書検索システムで検索できます。ここで「基本的に」と書きましたが、例外になるのは大学の図書館だったら概ね修士論文くらいのものです(さらに別の場合をちょっと下で書きます。なお、学部の卒業論文は、そもそも図書館の管理下に入らない方が普通です)。ですが、修士論文だと、何年のどの学部のどの学科の誰のという情報を、そもそもどっかから入手できるので、何年のとかの情報に基いて、閉架の中を探せます(そもそも自分のいる大学だったら、指導した先生のところにいけば済むだけです。先生が別の大学に移ったとかいう場合に図書館のお世話になるわけです)。

で、検索カードや検索システムで見つからない場合はどういうことなのかというと、それはそのまま「管理下にない」という状況なのが普通です。管理下にないということは、捨てたか売ったか別の何処かに移管した(譲ったとか)という事になります(図書館が蔵書を売ることがあるのかと思われるかもしれませんが、あります。例えばの話、amazon.comあたりで古本を買うと、大学の図書館の蔵書印が押された本が手に入ることもあります(蔵書印の近くに廃棄などの印が多分あります)。もちろん、amazon.comでは、そういうのを狙って買える訳ではありませんが)。

もし、今回の騒動で、「閉架に移し」、かつ「検索もできない」という状態であったとしたら、問題です。実際に物があるかどうか以前に、「自分のところの蔵書を管理できていない」という状態になるからです(「管理」というと堅苦しいかもしれません。紛失していても良いんです。「紛失している」ということを管理できていれば)。あるいは、一般利用者用の検索システム等では引っかからないが、司書さんとかのアカウントで利用すると見つかるという場合もあります。これは、図書館としては微妙にアウトかなという気もしますが、そういう例が無いわけでもないです(いまどきは蔵書管理はPCでやるでしょうから、いろいろとそういう例も少なくなっているか無くなっていると思いますが)。特殊な本など、主に保護のために管理しているようなのはこういう場合も無いわけではありません。そういうのも、上で書いた修士論文みたいに、どっかから情報を入手できるものです。何にせよ、閉架の場合と同様、司書さんに申し出て見せてもらうような類ですね。そういう資料が検索システム上で普通に表示されても、なんらかの注意書きが表示されるはずです。

さて、検索できないという状態だったら、問題がある場合もあるわけですが、本当に「閉架に置いた」という状態だったら、今回の騒動はどういう様相を呈してくるでしょうか?(そもそも閲覧・貸出の制限という話も出てますが、状況がよくわからないので、ここでは無視します。なお、単に学年によって区切るということであれば、ちょい下で書く「図書室の利用のしかた」の、どの段階をどの学年で教えるかという問題になると思います。)

まず、「保護者とかが閉架というものを知らなかった」という場合がありえます。えー、これは結構大きな問題です。いまどきの小学生の親の半分くらいは大卒ですよね。それで、知らなかったとしたら、ちょっと…

あるいは、「小学校で図書館や図書室というシステムの利用の仕方を教えていないので、児童が図書へのアクセス方法を知らない」という場合がありえます。これは非常に大きな問題です。図書室があるのに使い方を教えないというだけで矛盾してますよね。私の場合ですが、小学校の3年生か4年生から図書室の利用ができました(んー、ちょっと特例で図書室に2回ほど入れてもらったのが2年生だったと思うので、3年生からだったと思うのだけれど、自信がありません)。で、利用可能になる際、全員が図書室の使い方を教わりました。「置いてある本はここに書いてあるよ(検索カードでしたね)」とか、「見つからなかったら図書室の人に聞いてね」とか、「禁帯出と書いてある本は借り出せないよ」とか、「静かにしましょう」とか、いろいろと。まぁ実際に閉架書庫を見るのは、自治体の大きな図書館か、大学に入ってからでしょうけど。「閉架」がその図書室にあるのであれば、システム上そういうものがあることは教えていないとおかしいわけです。

さらに恐ろしい可能性として、「教育委員やらなんやらとか、教員が、閉架というものをしらなかった」という場合も有り得ます。つまり、開架には置いとかないで、閉架とやら(だが、それが何なのか知らない)に置いといて、とりあえず児童の目に触れないようにすればいいとか考えていたという場合ですね。あぁ、恐ろしくてこれ以上書けない。

まぁ、「はだしのゲン」というものの存在も知られたし、「閉架」というものの存在も知られたであろうということで、結果としてはまぁ良かったのかもと思わないでもありません。

Google Glassの活用について

先日、Google Glassに究極のアプリが登場: 警官,消防士,災害救助などの現場が使用する多用途情報機器へという記事がありました。

実際の運用には、事前にどれだけ情報を得ておいて良いのか、防犯カメラなどへのアクセスについて問題はないのかなど、いろいろ問題があることはあるだろうと思います。でもまぁ、そのあたりはどうにかするでしょうという前提で。

こういうシステムを運用しようとすると、フォワードとコントロール(あるいはバックアップと呼ばれるかも)という体制が必要になると思います。現状でも指揮室とか指揮車とかはあると思います。ですが、おそらくコントロール側のあり方が変わるのではないかと思います。単純に人数比でも、フォワードとコントロールの人数比が1対1にまではならないでしょうけど、フォワード3に対してコントロール1とか、そのあたりまでの人数比にはなるかも。コントロール側だけでも、今はマルチディスプレイを使うでしょうが、対応するフォワードの人数+何枚かくらいのディスプレイが必要かもしれません。さらには、現場での班などの分け方が必要に応じて変わると、あるフォワードに対するコントロールが誰なのかが変わったりするかもしれません。そんなのも簡単に制御できるほうが嬉しいでしょう。そうすると、指揮室とか指揮車とかの様子も変わるだろうなぁと思います。

まぁ、その手の話が好きな人にとっては当たり前の環境が、現実になるかもという感じでしょうか。

Star Trek into Darkness

, Chris Pine, Zachary Quinto, Benedict Cumberbatch主演, J. J. Abrams監督, Paramount配給, 2013.

チラシを見ていて、「(総称としての)エンタープライズ号って何回墜落してるのかな?」と思ったりしてました。ST: TNGの映画で1回落ちてるのは覚えていますが。

映画が始まって、提督の部屋にエンタープライズ号と、そしてよく似た宇宙船の模型が置かれてえいます。これと似たシーンでは、Star Strekでは結構あったと思います。ただ、エンタープライズ号と、それとよく似た宇宙船のデザインが妙に似ている。

STの世界の設定により、航行装置だったかワープ装置だったかの関係で、船体のおおまかな形は似たようになものになります。TNGやDS9での小型機は、デザインの原型から外れているものもありますが。でも、「そっくり」といえるようなデザインの宇宙船は、意外に出てなかったはず。そこをちょっとCheck。

これの前の作品から、それ以前とは別の世界の話ということになっています。今作でかなりズレたかなという気もします。

それにしても、昔から言われていますが、艦長や士官が真っ先に前に出るってのはどうしたものだかというところがありますね。

で、この作品の世界には、元の世界のスポックがいます。若いスポックが交信をもとめたり。すこしズルもあるみたい。

ずると言えば、TNGの映画で、地球人がワープ機関を開発した時だって、TNGのクルーの手伝いがなければ、たまたま太陽系を通りかかったバルカン人に見つけてもらえなかったなどという、そもそもがズルで始まっているシリーズだと言ってもいいくらい。

TNGといえば、初期はかなり予算がなかったのかなぁと思えてしまう場面があります。「それ、ダンボール箱を重ねて、上から布をかけてるよね?」というようなシーンがあったような気がします。それがまぁ、TNGもだんだん立派になったし。

TNG関連でついでに。映画だったと思うけど、どれだろ?艦長が「副長、発進を!」みたいなことを言う時に、「副長」にあたる言葉として「No. 1」て呼んでいた。艦長は別格で、副長がナンバー1なのか、流れ的にそう読んだのか、覚えていませんが。

話を映画に戻して。前作ではどうだったか忘れましたが、エンタープライズ号が実に広いという描写が良かったと思います。

先に冷凍から目覚めた人が仲間を取り戻すためにお偉いさんに操られ操り。

まぁ、一悶着が収まって、さぁこれから5年間の調査だ。という締めですね。ある意味TVシリーズの設定に繋がる事になります。しかしこのあとは、TVシリーズとかと年代が重なって行きそうなので、どうなるのでしょうか。まるで別のものとして作るのか、なにか関連を持たせて作るのか。

まぁ面白かったです。

ガッチャマン

, 松坂 桃李, 綾野 剛, 剛力 彩芽, 濱田 龍臣, 鈴木 亮平主演, 渡辺 雄介監督, 東宝, 2013.

週末に観たのの1つ。

予告編をネットで観たからかもしれませんが、しょっぱなでネタバレ風味が強いです。

それと、「そういうものを作ると大体の場合…」と思って観ていると、やはりそうなったり。

あとは、火の鳥は出ません。えーと、出ないというか、我々が知っている火の鳥は出ません。

あとは、物や人が飛ばされたりしますが、その動きに違和感があります。動きを計算したわけじゃありませんが。重力と慣性に支配された、物の動きというのは日頃から目にしていますので、脳にそのイメージはそこそこあるはずです。それで違和感があるということは、何かおかしいと思ってもいいのではないかと思います。CGでさんざん計算機を使っているわけですから、飛ばされたものの動きくらいも計算させてもいいと思うのですが。計算して、カメラのパンとかとの組み合わさった結果として違和感があるということもあるかもしれません。

コスチュームは、「脊髄を重点的に守ってます」という感じがあり、好印象かもしれません。

主役、主役級の方々のファンにはお勧めかもしれません。

World War Z

, Brad Pitt主演, Marc Forster監督, Paramount配給, 2013.

先週末に観てきましたが、どう感想を書けばよいやら。まぁ忘れないうちに書いときます。

んー、あー、えー… とりあえず、(多分)史上最多数のゾンビが出てきます。

韓国の米軍基地で出たイスラエルのネタが、でっかい伏線かと思ったら、全くそんなことはなかったり。(んー、待てよ。イスラエルの場面では、何となく「イスラム系は困ったもんだ」的な描写があったかなぁ)。

インドかパキスタンかなぁ? 核爆発が起こったっぽい絵があったり(話の流れとしてはインドかなと思うけど)。

感染予防ワクチン(予防とかワクチンとは言えない気がするけど)が、細菌やウイルスのDNAなんだかRNAなんだかレベルでの人工交配(?)株なのに、そんなに早く、そんなに大量に生産できるのかとか(待てよ、「致死性だが治療が容易なやつ」、「それなら細菌ね」てなやりとりがあったから細菌だけだったかも。人工交配株ではなくて単なる混合ワクチン?だったかも)。まぁ、DNAの配列データでも送れば、ある程度無事な国あたりでは独自に作れるだろうけど。それにしても…

大量のゾンビを見たい人、大量のゾンビの物量作戦(いや、考えてないから作戦じゃないけど)を見たい人、ブラッド・ピットが好きな人には、んー、まー、何と言うか、お勧めかも。

ロジック

神話については、現代では受け入れられない発想が盛り込まれている。なぜそうなっているのかを知るには、神話が成立した、あるいは語られ始めた時を観察するしかない。この点については、都市伝説の追跡も面白いと思うのだが、世にある都市伝説の本は偏っていると言うか、私が期待する都市伝説とはずれるので、ちょっと困っている。

「神話が成立したのはいつか?」という質問には極めて小数の例外を除いて、多分誰も答えられない。なお、日本の記紀神話のように、「いつ編纂されたか?」は分かっているものもあるが、記紀神話にしても集めて編纂なので、いつから語られているのかは分かっていない(おまけに、記紀神話には結構意図的な編集や変更も入っている)。なお、記紀神話に関連しては、日本内の各国(?)に「風土記を編纂せよ」との命令が出ている。なので各国で風土記は編纂されたはずだ。日本の元々の神話を知りたければ、各国の風土記に当たるほうがいくらかマシだと思うが。

神話に、なぜ現代では受け入れられない発想が入っているという点については、おおまかに次の3つの説明がある:
  1. 「使っているロジックが違った」という説がある。確かに、その説に従うと、結構すんなり受け入れられる神話もある。だが、もしかしたらその説は違うかもしれない。
  2. 人間には理解できなかった自然現象の理由付けとして自然神が現れたという説もあるが、これももしかしたら少し違うかもしれない。
  3. あと、古代ギリシャ時代から言われているが、英雄譚が神話になったという説もある。これは、まぁあるだろうなぁとしか言えない。ただし、すべての神話がそうだとは言いきれないのも事実(いや、頑張れば言い通せるけど)。

で、3つ目は、まぁあるだろうなぁとして残るが、1つめと2つめがちょっと問題。

1つめについては、ロジックが違う必要はない。単に、「何を知っているか」&「何を信じているか」と、「どのように考えるか」を分離して考えれば良い。その考え方で読みなおしてみると、「どのように考えるか」は神話が成り立った、あるいは語られ始めたときから変わっていないかもしれない。ただし、神話は毎日書き換えられてきたと考えなければならないので、本当に最初の神話がどうだったかは分からない。だが、そう考えると、神話というのは実は非常に論理的だ。

ただし、本当に「どのように考えるか」が変わっていないとすると、1つ問題がある。人間は1つのロジックしか知らないのだ。量子力学とか数学とか分からないものはあるけれども。どのような生物でも、理由は分からないがどうしたって人間が知っているロジックに至るのだろうか?AIの特異点なんて話があるが、そこで人間は異なるロジックに対面することになるのだろうか?多分そうはならない。残念ながら数学もロジックも人間が組み立てたものだからだ。特異点の先に、人間と異なるロジックに至る可能性はあるかもしれないが。尤も、定理の証明系で、人間が思いつかなかった証明を計算機が発見したという前例はある。だが、それも人間に理解可能だった。

そこで問題だ。仮に宇宙人が来た時、我々のロジックと彼らのロジックは同じ、あるいは翻訳可能なのだろうか?興味があるので、ぜひ早くどっかの宇宙人に来て欲しいくらいだ。いや、通信だけでもいい。とにかく意思疎通が可能かどうかを見てみたい。

1つ追加すると、少なくともいくつかの神話で(地理的にも民族的にも別々)、ある共通点がある(記紀神話も多分その1つに数えて良い)。なぜその共通点があるのかは分からない。だが、それが人間のロジックから来ていると考えると面白い。

2つめについて。本当に理由として自然神が必要だったのだろうか。必要なかったのではないかという可能性を考えると、ちょっと面白い。

つまり、いつか、どこかで、誰かが思いついてしまったのだ。「何かが、雷を、洪水を起こしていると考えたら面白くね?」ということを。理由を求めたのでは無い。「面白くね?」というだけだ。あとは、その連鎖だ。小説、マンガ、映画、ドラマと同じだ。神話は娯楽であるというのは、たとえばネイティブ・アメリカンの神話の語り方を見てみるとあり得る話だ。彼らは(全部族ではないかもしれない)、3つとか4つとかの要素を繋げて語ったとのことだ。固定された神話というのは無いらしい。語られる要素があるのだ。どのように語るかは語り部の能力に拠り、どのような物が語られるかを楽しみに聞く(まぁこれはちょい古い研究なので、間違っているかもしれない。あるいは古いがゆえに正しいかもしれない)。これが娯楽でなくて何だろうか。

もちろん、神話は何らかの形で歴史であり、記憶だ。だが、その歴史や記憶が娯楽のネタであると考えていけない理由が何かあるだろうか?今だって人間がやっていることだ。

そういう面で考えると、一神教の神話(基本的にこれらは若い。あるいはそもそも神話と読んでいいいのかすら分からない)は、とてつもない劣化だ。すべて「あいつの仕業」で片付く。そんな神話を聞いて楽しいだろうか?全能というのは、それ故にすべてを語ってしまうのだ。何かの関係を考える必要がない。気まぐれな「あいつら」とはまるで違う。まぁ、婚姻関係がむちゃくちゃとか、気まぐれすぎるところもあるが。あるいは、イザナギとイザナミが出会うところなんか(記紀神話のどっちかだけだったと思うが)、エロ小説だ。スサノオがぶった切ったある姫なんか、「いや、それはぶった切るだろ」と思ったりもする。

で、「どう考えるか」は変わっていないとすると、私にとってはこれが結構都合が良い。「面白くね?」が発端だったりその連鎖だったりすると、これもまたある意味で私には都合が良い。神話を相手にするのはまだ先だけど、そこに繋がるものとして、そう考えると結構都合がいいのだ。

まぁ、3つめの英雄譚が残ってるけどね。もう混ざっちゃっているので、英雄についてはあまり意識しなくてもいいかもしれないけど。

人はなぜユートピアを求めるのか?

幾つもの文学作品、映像作品が、ユートピアとはディストピアであると描いています。

確かに、それらの作品中の管理者的な人にとってはユートピアなのかもしれません。その人にとって、「世の中はこうあるべき」というものに、現実が近くなったのでしょうから。

例えば「すばらしき新世界」の総統は、何もかも知った上で、人類のためにということでユートピア体制を認めています。その時代には禁書とされているシェークスピアなんかにも詳しく、その上でその世界を認めています。おまけに、対外的には島流しという扱いであるものの、「島流しされた人はどういう人か? この世界には居場所を認められない人だ。彼がそこに行ったら、むしろ島流しなどではないと分かるだろう」というように、思想犯をただ殺すだけではない、懐の深さ、あるいは思想を持っています。

各企業・各機関の上層部は、「これは美しい(と思っているかどうかは知りませんが)」、それぞれにとってのユートピアを求め、作ろうとしているように思えます。脳内お花畑なのか、本当にそう思っているのかは分かりませんが。どっちでも迷惑なだけ。

普通の人は、ユートピアとはディストピアであると知っていますから、そんなに流れないとは思いますが、まぁいろいろ餌で釣るかもしれません。

まぁ、そこを言っていくと、ユートピアと呼ばれるディストピアと、今のディストピアのどちらで暮らすかという問題になります。実際の所、今の現実のディストピアの方がそうとうマシだろうとおもいます。個々に、凄惨な事件があることは知っています。しかし誰かのユートピアが実現されたら、地球に住む人ほぼ全員にとってのディストピアになるでしょう。

人間はユートピアを求めてはならない。それがとりあえず現時点での真理だと思います。

ロットリング・クリーナー最強

何となく手にとったボールペンが顔料系インクのもので、詰まっていました。何となく思いつきで芯をロットリング・クリーナー(当然希釈済み)に浸けておいてみました。数分くらいかなぁ。

結果、ボールペンが復活しました。

以前安物の万年筆を乾かしてしまった時も復活しましたが。万年筆だと、何となく「隙間があるよね」と思っていました。隙間があっても、付着した顔料を引き剥がすようなことはやっているということなのでしょうけれど。

ボールペンも当然隙間はあるわけです。なければインクが出てこない。でも、万年筆にある隙間と、ボールペンの先の隙間は感覚的に違うような気がします。でも、そこをどうにかクリーナー液は入り込んだということでしょうか。

ロットリング・クリーナーの洗浄力は凄いと思いますが、反面怖いとも思ってしまいました。クリーナー液を捨てる時には、何倍に希釈すればいいのだろうか。

何か恣意的な気が(研究大学について)

先日、文科省から研究大学強化促進事業に選ばれた大学・機関が発表されました(2013-Aug-06らしい)。で、それを見ていて、どうも疑問が出て来ました。

んー、長岡と豊橋、そして奈良と北陸は、どういう言い方が適切かは分かりませんが、ともかく、それぞれ同じ格のはず。なのに、それぞれ片方ずつしか入っていない。何か意図的なものがあるような気がしてしまいます。気のせいとか偶然かなぁ。

追記(2013-Aug-09 21:12): ==== BEGIN
上に書いた「なのに、それぞれ片方ずつしか入っていない。」ですが、考えてみれば豊橋も奈良も入っていないという場合もありえたわけです。なので、「なのに、それぞれ片方ずつ入っている」という面から、意図があるように思えるとも言えると思います。
==== END

それと、これは意図的云々という話ではありませんが。東京になんだかんだ言って多い。それは良いのですが。自然科学研究機構の一部は愛知県にあります。それもカウントすると、愛知県に3大学・機関ということになります。なんとなく、「良いのかなぁ」っぽい気分が無いとも言えない。まぁ、自然科学研究機構の愛知県にあるところにお金が行くかどうかは知りませんが。

とは言え、1大学・機関に配られる金額がしょぼい。「国の財政が云々」というのも、あるいは関係するのかもしれませんが。この金額だと下手すれば各機関で一人ずつくらいにしかならないような。応募&審査があったらしいので、実際そんなものかもしれません。(2013-Aug-09 18:50削除。すんません。単位を勘違いしてました。例えば北大だと「200百万円」、つまり2億円です。)

で、審査を通ったところは頑張ってください。問題はそこに入っていない大学です。「うちは教育大学だから」というのは言ってはいけないと思います。それを言うことは、受験生と学生に対して、「君たちは東大に行ける人より格下なんだよ」と言ってしまうのと同じです。「国がわざわざ別途お金を出すような大学に入れる人じゃないんだよ」というわけですね。

そして、それを言ってしまうと、多分別の問題が起きます。まぁ知識だけはどうにでも伝えられると思います。ですが、「うちは教育大学です」と言ってしまうと、研究に必要ないろいろなスキルを伝えられない、少なくとも伝えにくくなると思います。他の大学から、今回発表された大学とか(今後増えるかも)の院(自然科学研究機構あたりも院生を受け入れてたりします)に進学するする人もいます。そうすると、進学した際に何が起こるか。どうやったらいいのか、何をやったらいいのかあたりのスキルが無いので、「研究できない」ということになります。もしかしたら、「他大学から来た人は一年長くいることを覚悟してね」ということになるかもそれません。それでも頑張る人はいます。しかし、進学自体を諦める人もいるでしょう。これは、以前アメリカで起こったことです。ヨーロッパはどうだろう?国によってはもっと若い時に進路がある程度決まる国もあるので、分かりません。

今回選に漏れた大学も、今回選ばれた大学の院に学生をガンガン送り込めるようにするくらいでないといけないと思います。
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