2013年12月

GRAVITY再び

先に映画のGRAVITYについてのエントリを書きました。

ハフィントンポストに関連しそうな記事があったのですが、どうも気になるので書いときます。

ハフィントンポストの記事の要旨は、「宇宙は不毛の空間。地球というゆりかごがあって嬉しい。持続可能な社会にしよう」というものかと思います。

しかしそういう解釈はどうも納得できない。先のエントリにも書きましたが、気になるのは次の点です。

音響が一人称的。ウォッカを飲むシーン。スピンオフのAningaaq ( http://gigazine.net/news/20131121-zero-gravity-spin-off-aningaaq/ )の終わり方(本編通信部分とリンクしてます)。どこに着陸したのか? エンドロール中と後の音。これらを考えると、「本当に帰還したのか?」と疑問になります。

なので、宇宙だと人は死ぬってところはいいです。でもそれを踏まえて何を感じるかというと、ハフィントンポストの記事とは違うものを感じてしまう。つまり「GRAVITY=脱出するのにエネルギーがかかるし、すぐに落ちていってしまう重力井戸≒牢獄(おまけに実際デブリに取り囲まれかけてもいる)」として描かれているように思えてしまいます。ここを乗り越えていかねばならない一つの段階として描かれているように思えるのです。

人工知能学会誌の表紙の絵

女性型ロボットが掃除しているっぽい姿が、性差別的とか言われてます。どんだけマヌケなのかと思います。

細身に、小型かつ大容量のバッテリー(多分)と、小型かつ大出力のアクチュエータ(どんなものか知らないけど)が搭載されてる。それだけで凄い。そもそも家に入れるロボットはいかつくては駄目。間違って転んだりしたら、それだけで人間に怪我をさせるかもしれないから。ホンダのP3からアシモへと小型化したのもそれが理由の一つと言われてる。まぁ小型なのが良いと言っても、幼女が表紙になってたら、別の問題が起きてただろうけど。

それと、掃除というのは極めて高度な知的な仕事。何がゴミで、何がゴミでないのかを的確に判断しなければならない。しかも必要なら、ほったらかしてある物をどこに置けばいいのかの判断もしなきゃいけない。

これらを総合すると、現状ではだいたい無理。というわけで、技術的な夢を詰め込むと、あんな絵になると思えばいいんじゃないかと思う。

PACIFIC RIM

Pacific Rimを観ました。

怪獣、巨大ロボですね。マジンガーZからの流れという感じでしょうか。操縦系はジャンボーグA(?)を思い出させる感じと言えるかも。

思ったんですけど、まじめに仮面ライダーの映画を作ったらどうなるんだろ? 毎年(?)作ってるような感じじゃなく、お金をかけて、スクリプトを書いて、「よけいな口出しをさせず」に作ったら。

手帳

手帳と言っても、警察の人が使ってるものについて。

警察の人が、8穴タイプ(これは日本独自だと思うけど)のシステム手帳を使ってたりします。

8穴タイプのシステム手帳と言えば、歴史的な順序はともかく、System Diaryがまず思い浮かびます。あの名物(?)社長はもう亡くなってると思いますが。System Diaryって今、どうなってるんでしょ? 次に思い浮かぶのが日本能率協会のもの。これは生産終了してたと思う。で、とりあえずあと一つが、パイロットのもの。伊東屋でも見かけなくなった気がする。実はあと一つあったはずですが、System Diaryの名物(?)社長だった(?)人がぶっ潰してたはず。

機会があったので、聞いてみました。まず、官給品ではないそうです。県警本部とかの売店で売っているらしいです。売店で誰でも買えるらしいです。こんどちょっと行って買ってこようかな。それと、パイロットのものだとのこと。店で見かけないと思ったら、そういう市場(?)を持っていたのか。

文具っていろいろ面白い。

んー、神を、どこの定義というか感覚で考えるかによるというところはありますが。

とりあえず、何ができるかは置いといて、「空間的にも時間的にも遍在している」と考えます。神の管轄がどの範囲なのかは知りません。地球は公転してるし、太陽系も銀河系の中で回ってるので、管轄と言ったって話が面倒になりますけど。

さてと、空間的にも時間的にも遍在しているというのは、人間の視点です。神の視点で見たらどうなるのでしょう? 空間の方は想像しやすいかなと思いますけど。問題は時間の方です。遍在しているとすれば、もう全てが分かっているわけです。意図して特定の時間の範囲を思い出すようなことはあるかもしれませんが、そういうのを除けば時間に沿って知るわけじゃない。

そうした場合、神にとって時間というのは存在するのでしょうか? 神にとっては一瞬ですらないのではないかと思うのです。まぁ、一応137億年とか45億年とか経ってるわけですが、その経過を認識しなのではないかと思います。なぜなら時間的にも遍在していると仮定したから。

というわけで、空間的に遍在すると考えると、全知全能も役に立ちそうですが、時間的にも偏在すると考えると、何もできないということになるような気がします。宗教の人はその辺りをどう考えているんだろ?

やること

結構前に部屋を荒らされたという話を書きました。私の脳は一万年とかもっと前の古いタイプみたいなので、何かを思い出しそうな時にはどこにある本のどの辺りという覚え方をしています。どの辺りというのも、一冊のy/xあたりと頭や後ろから何mmとかが複合した感覚で、説明が面倒臭いですが。

まぁ今のところに長くいすぎたかというのは私自身の責任でもありますが。あとからくる人のためにも、どういう位置づけの場所なのかを周囲にどっかではっきり言っとかないといけないかなと思います。

で、部屋を荒らされて何がどこにあるのかわからない状態なので、こういうことがアレのこのあたりに書いてあったという感覚がまるで役に立たない。なので、どうしたら良いものなのかお手上げの状態が未だに続いています。なんとなくイメージはできているけど、どうもまとまらない。それよりずっと手前のことはそろそろやりたいなと思っていますが。

部屋をそれだけでなく、現状「これをやること」という制限付き。職場の人は、多くが、「これをやること」と言われると「楽」と感じるみたい。私は「アレをやるのも駄目。これをやるのも駄目」という禁止にしか目が行かずに、ストレスが溜まりまくり。

「これをやること」とのはまぁ職務ですけど。それ以前に、今の場所は大体において「腰掛け」の場所。「これをやること」は一応やりますけど、腰掛けで済ますためには自分のやりたいことをやるのが第一の最優先事項。でも、「腰掛け」というのを周囲は理解していないので、どう説明しても伝わらない。周囲が邪魔しかしてこない。

まぁ新しいPCを導入したいと言っときましたが、これすら理解できていない様子。理解できるなにかがないのか、邪魔をするのが仕事と思っているんでしょう。

とりあえずそういう邪魔は無視してやることにしました。PCも私費で買おうかと思っています。

規則・命令・職権・役職・人格

某市にて、職員(部長クラス)を東北へ出向させる命令がどうたらという記事がありますが。

「命令」で人が動くと思っているんでしょうか? 組織というものはとか、組織の命令の伝達は云々という話はあるという前提で、その前提そのものがおかしいと思うわけです。ですが、それらが前提であり、それが普通なら、歪んだ世の中だなぁと思います。

 職務権限の上下関係なんてのは、ハンコを押すだけの関係です。あとは、上の人は音頭取りをするという程度。「命令」できるとかいう権限がある事自体がおかしい。先日Eテレで、退職後にボランティアに参加する人に、「前職は部長だった」とかいう理由で女性にコピーを取らせたり、「派閥を作ったり」する人が無視できない程度にいるとか。まぁコピーの方は、「使えないんだろうな」とも思いますが。なんにせよそういうのは、「職務上としてあった仕事」を「自分個人の権限」なんかと勘違いしているのでしょう。こういう人は、そもそも筒井康隆の小説にあった人生定年制を適用するのがいいと思いますが。

まぁ、規則や命令に従うのが楽だし、規則・命令・権限・役職で人に相対するのが楽なんでしょうね。自分自身でどうにかするという発想が抜け落ちてる。そういう、規則・命令・職権・役職と人格や能力はまったくの無関係だという発想がないのでしょう。

人類の脳容積は法律とか都市国家ができた一万年前から数千年前 あたりから比べると小さくなってるらしいです。 規則・命令・職権・役職に従っていたり使っていたりすると脳を使う必要がない。まぁ楽なのかもしれませんね。何が面白くて生きているのかは理解できませんが。 あるいは脳を使わない人にとっての成長や生き残りや子孫を残すことなどについての不利が少なくなっているからでしょうか。 まぁ、脳容積が400〜500cm^3の矮化人類(フローレンシエンシア)も 石器を使ってたらしいですから、直結するものでは ないのでしょうけど。

まぁ考えない人類にも苦労はあるみたいです。規則に従って、「楽しくもない」仕事をやっているとかいう類みたい。それ以外にも、単純な話として書きますが、能力的に問題がある方に近い人類の再生産なんてのもあります。H. G. ウェルズのタイムマシンじゃないですけど、知的な面でも少しずつ分離が始まっているんじゃないでしょうか? 知能テストの結果が実際にどうなっているのかを知りたいところではあります。

電動ラジコンヘリ

近所で小さな電動ラジコンヘリを安売りしてたので衝動買いしてしまった。

こんなのでも結構難しいな。トリムの調整そのものが難しい。とりあえず浮かしてみないと調整がどうなっているのかも見えないのだが、浮かす事自体が結構難しい。

昔からラジコンのヘリは上級者向けという話は聞いていたが。小さいものだからと舐めてた。いや、安物だからむしろ難しくなっているのかもしれなけど。

ただ、機体のバッテリーが数分で切れるのはちょっとなぁ。モーターをぶん回してるし、重いバッテリーにするわけにもいかないだろうから、こんなもんだとは思うが。

でも、これ面白い。ハマりそうだ。

本物のSF

先日、「NSAがやってたからシリーズ完結させられなくなった」という作品の話がありました。「本物のSFが読まれなくなっているんだな」と思いました。

まぁ以前も書いたと思いますけど、H. G. ウェルズやジュール・ベルヌやメアリー・シェリーという近代SFの親が偉大すぎるってのはありますが。

そういう歴史を見てみると分かるのですが、本物のSFは問を発しています。ここが勘違いされる所ですが、「作品中に示した解」について考えろという問ではありません。「問そのものを問え」という問を発しています。だから、読んだ後も、問が頭の中に残り続ける。

そういう作品だと、当然読み手側にもそれなりのものが要求されます。SFが広く受け入れられないのは、ここが問題なんでしょうね。そんな面倒なのは避けたい人が多いでしょう。ですが、そこを避けたら本物のSFは本当に消えてしまう。

SFは娯楽という見方をしている人にはこの辺りは分かりにくいかもしれない。SFは思想を示し、思考実験を行なっているものです。トリック的なもので成り立っているものはSFたる資格がありません。「NSA云々」の作品は、思想があまりに浅薄だったということです。

1985年

1984年(ジョージ・オーウェル)を読んだら、1985年(アントニイ・バージェス)も読んでおくのをお薦めします。1985年の後半(?)だけでもとにかく読むことをお薦めします。

昔、読んでた本に一緒に紹介されてたのに。読んでなかったのは失敗だ。

もっとも、サンリオ文庫だから絶版どころの話じゃありませんが(なんか、サンリオSF文庫じゃないみたい)。amazonで古本があります。
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