2014年02月

ロボットと人間

「フランケンシュタイン あるいは現代のプロメテウス」の昔から、「R. U. R.」を経て、今でもフランケンシュタイン・コンプレックスなんて言葉がないわけでもない。特に、どっちかというと否定的な意味について。

フランケンシュタイン・コンプレックスの否定的な意味については、物理的な硬さとか力とかについての恐さが、私としては一番分かりやすかった。あとは職の取り合いとかも、まぁロボットというより産業革命とかそれ以後で機械と始まっている訳だから、いまさらとは思いつつも、分かるとは思っていた。神学的な話もあるだろうけど、それは分からないので置いとくとして。

「フランケンシュタイン あるいは現代のプロメテウス」でも、「R. U. R.」でも、アシモフのシリーズでも、私は「ロボットは他者である」と感じ、「人間と並ぶ者になる」と感じていた。

だけど、フランケンシュタイン・コンプレックスと称されるものの否定的な意味合いの根っこは、たぶんそういうものとは違うのではないかと思うことがあった。うまい書き方が思い浮かばないが、むしろ、「同じ」と感じていることからの恐怖と書くのがいいのかもしれない。

「違う」と感じていれば協力したり、分けあったりとかもありということになるんじゃないかと思う(よく分からないけど)。だけど、「同じ」と感じていれば、人間側からすればそれがなんであれ「奪われる」という感じ方になるのではないかと思う。

googleのロボット事業がどういうふうに展開されていくのかは知らないけど、また他のロボット開発や人工知能の実装とかも、その辺りに関連する部分で案外大変なのかもしれない。

==== BEGIN 追記(2014-Feb-20T18:20)
「違う」について補足:
どう感じているのかをうまく書くことは難しいですが。例えば異星人。どっかには居るんだろうと思いますが。でコミュニケーションが取れたとします。彼らに対して「居るのを止めろ」なんてことは言えないわけです。それに近い感じと書くのが結構近いかもしれないと思います。
==== END

ちょっと考えなおした

memexも、Project Xanadoもwebの先に現実的なものとして現れてくるものと思っていました。

ですが、memexはどうなのか分かりませんがProject Xanadoはもしかしたら違うのかもしれないと思いはじめかした。というのもKDPがサーバ側というかデータの提供側とかを考えると以外にProject Xanadoに近いように思えるのです。もちろんKDPの出版物にリンクを埋め込めたりするのかというあたりが違うのかもしれません。でも、他の作品を参照するようなスタイルの作品が多く現れれば、対応しないわけにもいかないでしょう。未だにexpeimentalえすがpaper whiteとかのkindleにはブラウザも入っていますし。
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