さて、あちこちに水が存在することは確認されています。水があれば、地球型(に近い)の生命がある可能性は検討に値するかもしれません。あるいは地球型とは違う異星人もあり得るのであれば、宇宙人の総数(種類の)はもっと増えるはずです。ですが、手がかりが見つからない。
それを考えると、宇宙は生命で満ち溢れているかもしれないが、知性では満ち溢れてはいないということなのかもしれない。
恐竜の類は1億年とか繁栄したが、文明を作ったという痕跡はない。人間は100万年とかその辺りで現在に辿り着いているのにだ。1億年と比べるなら、1000万年で辿り着いたと言っても構わないだろう。ということは、「生物は知性を持つように進化する」という大前提が、誤っているのかもしれない。
今の人類の文明をもたらしたものが何かといえば、それは言葉だと思う。言葉により、考えを記録し、蓄積し、伝達することができる。特に文字だ。もちろん現在でも言葉は持つが文字は持たないという民族・部族も居る。だが、全体として数千年前から文字を使っている。
文字を作るのが難しいとは思えないので(漢字の体型を組み立てるのはかなり難しそうだが)、その前の段階、つまり言葉を持っているのかどうかが重要なのではないのかと思う。
言い方を変えると、言葉を使って考えるかどうかということだ。恐竜たちはそうはならなかったようだ。あんなに繁栄したのに。
さて、宇宙で手がかりが見当たらないのは、他の種族はずっと先に言っているか、他の種族はまだまだ遅れている(いずれも電波の伝播に時間が必要なので、問題はややこしくなるが)と考えるのが妥当だと思う。だがそれは妥当なのだろうか?
ドレイクの方程式において関係しそうな項はこれだ。「発生した生命が知的生命体にまで進化する割合」の項fi=0.01 (1%)で推測されていた。これを、仮に「発生した生命が言語を操るまでに進化する割合」と考えた場合どうなるのだろう? この場合、「知性」と「言語」というのは、大まかには同じような意味で考えていいと思う。
だが、どちらにせよ十分な知性体、十分な言語使用者が現れなければ、この条件も、この次の条件をみたすことはない。その意味では0.01でも大きすぎる推定値なのかもしれない。
なお、中世のヨーロッパには暗黒時代があった。ルネッサンスの前の時代だ。知性体は言葉を使えても、このように嵌り込むことがあるということだ。言葉を持っていても、社会の要請により限られた範囲に限られてしまうのだ。そのような嵌り込みや場合によっては後退はどの程度起こるのだろう? 場合によってはそれは非常に長いこともありえるのだろう。そういう世界は、エネルギーや材料の枯渇というのは考えなくて良いだろう。もともと使用料が少ないと思うので。
そうすると、まとめてみる。
- 生物が言葉を使うようになるまでに進化する可能性は低い
- 生物が言葉を使えるようになってからの期間に対して、言語による言語的活動が抑圧される期間が長い