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長いですけど前説。
抽象的思考については、何をもってそう呼ぶのかについて議論はあるでしょうが、壁画を描いた時点で一定の抽象的思考の能力を持っていたのでしょう。幾何学模様というような話でなくとも、3次元の物体を2次元に投影し、それを3次元のものと(おそらく)認識していたのでしょうから。例えばそこから文字や数という概念に至るのに時間がかかっていたとしても(文字については実際に時間がかかったと考えられています。言語の発生はいつなのか不明ですが)、それは時間の問題だったと考えておこうと思います。このような一種の記号化が可能になったのは、壁画という証拠からみると、4万〜3万年ほど前のようです。
おそらく、根本的な質という面に限れば、記号化というmemeを手に入れた―あるいはそれを許容できる脳を手に入れた―、その時点が頂点であるのかもしれません。あとは、そのmeme自体の変化や進化なのかもしれません。
そこで、3万年前が人間の知性の上限だったと言うと、いろいろ反論が出てくるように思います。「彼らは、現在の科学技術を持っていなかった」とか。そこは問題にならないというか、生物としての人間の知性の上限ではなく、memeの変化や進化や蓄積、それと知識の蓄積であろうと思いますが。
では、もう少し受け入れられやすいと思う次の時点を探します。信仰、農耕、集会などが挙げられるかと思います。信仰の起源は分かりません。壁画を描いた頃に発生したのかもしれません。あるいはもっと前かもしれません。赤鉄鉱を使っての化粧なんかには、信仰に類するものと部族などを示すものとが混在しているらしいです。アフリカ大陸南端の遺跡からは使われた赤鉄鉱(?)なんかが発掘されています。10万年くらい昔です。
んー、あれ? 信仰に類するものや部族などを示す化粧がなされていたということは、すでに抽象化の能力を持っていたのでしょうか? だとしたら、上に書いた3万年前よりも遡りますね。なお、その時期は氷期だったらしく、ホモ・サピエンスの遺伝的多様性がかなり失われた時期らしいです。
農耕と集会については一緒にします。農耕の最初期はかなり偶発的な面もあったと思います。そこで野生種から栽培種への変化の過程をみると、どうも部族間での集会もそれと並行していたようですので。これが1万年前くらい。やぁ、結構最近に戻って来ました。なぜ農耕をここで書くものに入れているかというのは単純な話です。「いつ種を蒔いたらいいのか」ということを知らなければならないからです。天文学的知識は無くとも、1年という周期かそれに類するものは知って、あるいは分かっていないといけないからです。天体観測をしていたかもしれませんし、もしかしたら数の概念に到達していたかもしれません。なので、農耕という表現をしてはいますが、農耕そのものよりもそれらの方を少しばかり重要視しています。
まだ何か言われそうなので、もう少し最近を見てみましょう。5,000から6,000年前(あるいはそれより前)の都市国家の誕生の時期です。この時期には文字、職業、法律、(形はどうあれ)お金も現れています。お金というより交換の媒体とだけ書いておく方がいいのかもしれません。
これより最近で、上限とみなすことができそうな時期はあまり見つかりそうもありません。ですが、ここではギリシアとローマ帝国の時期を挙げておきましょう。これらは、近い分、何年前くらいという表現が使いにくくなりますが。まぁ大雑把に2,000年前くらいとしましょう。時期として一緒にしていますが、古代ギリシア文明とローマ帝国では文化としてかなり違います。古代ギリシア文明は多様性があったのに対して、ローマ帝国はあくまでローマ帝国という感じだったらしいです。ただ、2つを分けると時期の書き方が面倒になるので、ここでは一緒にしておきます。
この時期に何が変わったか。うーん、国家が大規模になったとか。「思想」や「思索」がそれなりに重要視されたとか。エネルギー消費に奴隷も含めると、いくらか現代に近づくとか。「思想」などというものをどうとらえるかにはいろいろあるかと思いますが。5,000から6,000年前のメソポタミアとかでも神話が体系化されており、その中では天体についての思索もあることはあるわけで。あるいは数学が誕生したと言ってしまった方が簡単かもしれません。でも、それ以前になかったわけはありません。天体観測は行なっていたのですから。表現の問題ですが、「抽象的な数学」が誕生した時期と言っておいた方がいいかもしれません。あぁ、あとギリシアでは民主主義も起きています。
もっと近い時期になにかなかったかと考えると、逆説的ですが中世の暗黒時代があります(そう呼ぶのも荒っぽいですけど)。この時期ヨーロッパでは、文明は退行しているわけですが、なぜ退行が起こったのかというあたりについて考えてみます(まぁ地域限定の話でもあるわけですが)。西ローマ帝国のあと、1,000年くらいの間かと思います。西暦500年付近から、1,500年あるいは1,600年あたりかなと思います(文献探索とかが1,600とかでも行なわれていたので、とりあえずそこまでを入れておきます)。西ローマ帝国は周辺地域の部族(?)による侵攻や、他の地域での火山の大噴火なんかがあったそうです。その辺りが引き金らしいですけど。まぁこの時期でも東ローマ帝国は健在だったらしいですけど。この時期でも、東ローマ帝国やイスラムででっかい聖堂が作られたりしてます。前のローマ帝国と質的に違うのかどうかは、私には分かりません。この時期の考察は私には手に負えません。とりあえず時期的には1,000年前くらいとしておきます。
ただ、問題として考えたいのが、なぜ1,000年にわたって復興されなかったのかということです。カトリックの権力とか王制の権力とかいろいろあったらしいです。あるいは東ローマ帝国でもここで特筆するようなことはなかったようです(私の検索が足りないだけだと思いますが)。なぜ1,000年にわたって革新がなかったのか。このように捉えるのは恣意的ではありますが、権力と規範の限界期と考えることはできないでしょうか。いろいろあったわけですが、権力と規範が1,000年ほどにわたってとりあえず維持されていたわけです。この時期あたりでの国家などの規模とそれに付随するものが一種の安定期、あるいは限界期を迎えていたと考えてみます。
この後にルネッサンス期が来るわけです。そこでの復興と発展は大変なものがあります。ですが、それがもたらしたのは、ある意味での混乱とも言えるのではないかと思います。まぁルネッサンスの初期あたりも年代として入れておくと、これまた一つにまとめられませんが、西暦1,500年ころとしておきます。500年前くらいですね。
それよりも最近で何が起こったかというと、産業革命を挙げておくだけで構わないのかなと思います。個人のエネルギー消費の爆発的増加は現在にも繋がっています。細かい話は置いといて、西暦1,800年ころとしておきます。
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ちょっとまとめます。
- 10万年前: 化粧
- 3万年前: 壁画
- 1万年前: 農耕
- 6,000年前: 都市国家、文字、職業、法律、お金(交換の媒体)
- 2,000年前: 抽象的数学、哲学
- 1,000年前: 権力と規範の限界
- 500年前: ルネッサンス
- 200年前: 産業革命(エネルギー消費の爆発)
この辺りから本番。
さて、人間の知性はこれらのどこかで上限を迎えていたのでしょうか。それとも今も向上し続けているのでしょうか?
ここで注意が必要なのは、現在の我々は知識の集積の上にいるということです。
「無人島に行く時に何か一つだけ持っていけるとしたら」という話がありますが、私たちは自分自身の脳を持っていくだけで、おそらく上記のどの時代に於いても変革を起こせるでしょう。仮にその変革が受け入れられなかったとしても、少なくとも変革の芽は残せると思います。ですが、その可能性は、必ずしも現在の人間が上記のどの時代の人間よりも、知性の面で優れているからとは言えないのです。あるいは少なくとも言えない可能性が残るわけです。
まぁ、解剖学的には6,000年前あたりが上限だったん可能性があるという話になっていますが。
それと、上の列挙は恣意的なものですが、上の項目の年代の1/3〜1/2で、次の項目の年代となっています。まぁ加速度が一定に近いという表現が、そこそこ良いのかもしれません。そうするとちょっとしたアイディアを思いつきます。遺伝情報に基づく脳の機能の向上が変革に追いつかなくなることはあるのか? あるとして、それはいつなのか?
では、人間の知性は向上し続けていて、かつ加速度が一定だとしましょう。その場合、人間の遺伝情報が変化するためには、つまり単純に考えて自分が生まれてから自分の子供が生まれるまでの時間が必要です(群れとしてみると、また少し違いますが)。ですが、単純に考えて1世代必要なわけです。仮に1世代を30年とします。加速度が一定だとして、変革が30年を割り込むのはいつでしょうか?
これは、あるいはこういう言い方ができるかも知れません。ある言語における単語の意味は変化し、場合によっては増えます。そして場合によっては外国語や古語、死語から語彙を持ってきます。そのような方法でやっていくと、語彙は増え、多義語が増えるかもしれません。そのような傾向が続けば、人間の脳という実行系においては言語というシステムが崩壊する可能性があるかもしれません。その崩壊はいつなのでしょうか?
言語システムは置いておくとして、ここでは1/3よりもゆるやかな1/2を、うーん、いや2/3を使いましょう。すると、200年前の産業革命以後に変革があったかもしれない時期として、133年前、89年前、59年前、39.5年前、26年前、17.6年前、12年前、7.8年前、5年前、3.5年前、2.3年前、1.5年前、1年前となります。26年前で1世代、30年を割り込んでいます。
2014 - 26は1988年になります。この時期に何が起こったでしょうか? そのためには、その次の17.6年前を見てみます。2014 - 17.6 = 1996.4。この時期、MS-Windows 95が出ています。この時期に何が起こったでしょうか? 私見ですが、インターネット利用者の拡大がその1つとして挙げられるかもしれません。では、1988年ころには? これまた私見ですが、PCの普及を迎えていたことがあげられるかもしれません。
さて、仮に1988年に既に人間の知性の向上が変革に追いつかなくなっていたとしましょう。1996年には、それはさらに顕著になっていたかもしれません。では、現在私たちの知性というシステムは変革に追いつかなくなっているでしょうか? 何となく、「そうでもないのかもしれない」と思えます。1996年ごろを見てみると、1995年にYahoo! JAPANが検索エンジンを公開しています。私たちの知性というシステムが変革に追いつかなくなっていたとしても、検索エンジンにより、そこの所を補えているのかもしれません。ですが、補えているのと、知性というシステムが追いついているのとはまったく違う現象でしょう。
では、この辺りで1世紀ほど技術の停滞が起こるのでしょうか? 中世の暗黒時代のように。どうもそうでは無いように見えます。
さて、26年前、17.6年前とならんで、59年前という数字があります。2014 — 59 = 1955年。この近辺で何があったか。私見ですが、1956年にダートマス会議が催されています。まぁ「人工知能を実現するぞー!」と言った会議です。
検索エンジンも、考え方によっては人工知能です。1995年当時も今も。今の方がよりはっきり人工知能的だと言えるかもしれません。
さて、では1988年に既に知性というシステムが変革に追いつかなくなっていたとします。そして1995年にはある意味での人工知能がそこを補えていたとします。ですが、そうであると認めるかどうかという問題があります。つまり、人間の知性というシステムはそれのみでは既に存在できず、あるいはそれの群れとしてのみでは既に存在できず、人工知能との複合体として、やっと存在できているという見方を受け入れられるかどうかです。
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人間の知性は、まだまだ変革に耐えられる余裕があるのかもしれません。
あるいは、人間の知性はまだまだ一定の加速度、あるいは速度で向上しているのかもしれません。
あるいは、人間の知性は既に、もしかしたらとっくの昔に上限を迎えているのかもしれません。
あるいは、人間の知性はまだまだ一定の加速度で向上しているのかもしれません。
あるいは、すでに人工知能との複合体という形になっているのかもしれません。もし、この場合、立場が逆になるのはいつでしょうか? 言い換えるなら、ウェアラブルなどによって行動を計算機に指示される、あるいは何らかの形で計算機が人間の行動に強く介入してくるようになるのはいつでしょうか? シンギュラリティを待つ必要は無いのかもしれません。
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まぁ、1/3とか1/2とか2/3とか、それを使って出している数字は遊びです。ですが、面白いかもしれないと思ったのでこんなのを書いてみました。どういう数字を使おうとも、毎年何かが見つかるはずです。
-sk/wl/hm