ted2が公開されるようです。
NHKで先日NEXT WORLDなんてのをやってたので、それに関連しそうな事を。twitterに書いたことも少し取り込んで。
リンク先を観てもらえば分かりますが、tedは結婚して、子供が欲しいのだが、とうぜんそういう機能はない。精子の提供は昔からの友達から受けるようだが、ted自身の法律上の立場が問題となる。そういう話のようです。
ted2ではうまく落とすのだと思います。ですが、現実の場合、どうなるのでしょうか? 例えば、充分に発達した人工知能、現在の類人猿、あるいは知性化した類人猿や犬など、そして遺伝子をいじった人間、記録や復元された人格。
現状の類人猿はどうなんだろとは思いますが、それ以外の場合、例えば人権のあたりはどうなるのでしょうか?
生物学的な人間にのみ人権が認められるというのは、何かがおかしいように思います。あるいは、他の場合でも人権が認められるとしても、生物学的な人間であることを根拠とし、それを特権とするとしても、何かがおかしいように思います。
こういう問題を考えた作品も当然あります。アジモフの二百周年を迎えた男、およびシルヴァーバーグによる長編化では、最初は会社を作って法人格を確保するところから始めています。最終的に主人公は人間と認められるわけではありますが。ここについては、アジモフの方だと、人間であるという立場を獲得したから最後の場面が成り立つように思います。対して、シルヴァーバーグの長編では、主人公は人間と認められなかったとしても、最後の場面が成立するのではないかと思わせてしまいます。これはおそらく、シルヴァーバーグがその場面をきちんと描いてしまったために発生する解釈のゆらぎだろうと思いますが。それはともかく、どちらの場合も人間という立場を認められる理屈は存在していません。ただ一つ、不死性という問題を除いて。
ted2も上の作品も、しょせんはフィクションだと言ってしまうことも可能でしょう。あるいは、そのあたりが問題になる前に、機能制限をかける方向にいくかもしれません。
おそらく一つの可能性は、知性体という概念を認めることだと思います。定義や、確認の方法は知りませんが。チューリング・テストが話にでてくるかもしれませんが、うーん、どうなんでしょう。あるいは人間の知性のありかたとは違った場合にはどうなるのでしょうか?
ただ、知性体という概念を認めた場合、一つ問題が出るかもしれません。個別に知性体か否かの判定をするのだとすれば、現在知的障害があるとされる方々、あるいはもっと広い範囲になるのかもしれませんが、人間でありながら知性体とはみなされない方々がいることになるかもしれません。上で「特権」と書きましたが、そういう特権を認める根拠というものがあるのでしょうか? 私はないように思います。ここは別になにか考えないといけない部分だとは思います。(差別の意図はありません。特権が存在しうるのかという話です。)
ここまでは、人工知能とかを人間と同格と見るかという話です。この言い方の場合、元来人工知能は人間より格下だというニュアンスがあると思います。では、人工知能が人間と同格だとした場合というのは実際にありえるのでしょうか? 例えば、人工知能はハードにせよソフトにせよメンテされていれば、人間よりも長く稼働できると思います。1,000年稼働できる人工知能に対して、人間は同格なのでしょうか? 1,000年の間には世代交代と、それにともなう教育が必要になります。これらをコストと見た場合、人間は人工知能と同格なのでしょうか?
ted2は面白ければ構いません。ただ、どう落とすのかにも興味があることはあります。
NHKで先日NEXT WORLDなんてのをやってたので、それに関連しそうな事を。twitterに書いたことも少し取り込んで。
リンク先を観てもらえば分かりますが、tedは結婚して、子供が欲しいのだが、とうぜんそういう機能はない。精子の提供は昔からの友達から受けるようだが、ted自身の法律上の立場が問題となる。そういう話のようです。
ted2ではうまく落とすのだと思います。ですが、現実の場合、どうなるのでしょうか? 例えば、充分に発達した人工知能、現在の類人猿、あるいは知性化した類人猿や犬など、そして遺伝子をいじった人間、記録や復元された人格。
現状の類人猿はどうなんだろとは思いますが、それ以外の場合、例えば人権のあたりはどうなるのでしょうか?
生物学的な人間にのみ人権が認められるというのは、何かがおかしいように思います。あるいは、他の場合でも人権が認められるとしても、生物学的な人間であることを根拠とし、それを特権とするとしても、何かがおかしいように思います。
こういう問題を考えた作品も当然あります。アジモフの二百周年を迎えた男、およびシルヴァーバーグによる長編化では、最初は会社を作って法人格を確保するところから始めています。最終的に主人公は人間と認められるわけではありますが。ここについては、アジモフの方だと、人間であるという立場を獲得したから最後の場面が成り立つように思います。対して、シルヴァーバーグの長編では、主人公は人間と認められなかったとしても、最後の場面が成立するのではないかと思わせてしまいます。これはおそらく、シルヴァーバーグがその場面をきちんと描いてしまったために発生する解釈のゆらぎだろうと思いますが。それはともかく、どちらの場合も人間という立場を認められる理屈は存在していません。ただ一つ、不死性という問題を除いて。
ted2も上の作品も、しょせんはフィクションだと言ってしまうことも可能でしょう。あるいは、そのあたりが問題になる前に、機能制限をかける方向にいくかもしれません。
おそらく一つの可能性は、知性体という概念を認めることだと思います。定義や、確認の方法は知りませんが。チューリング・テストが話にでてくるかもしれませんが、うーん、どうなんでしょう。あるいは人間の知性のありかたとは違った場合にはどうなるのでしょうか?
ただ、知性体という概念を認めた場合、一つ問題が出るかもしれません。個別に知性体か否かの判定をするのだとすれば、現在知的障害があるとされる方々、あるいはもっと広い範囲になるのかもしれませんが、人間でありながら知性体とはみなされない方々がいることになるかもしれません。上で「特権」と書きましたが、そういう特権を認める根拠というものがあるのでしょうか? 私はないように思います。ここは別になにか考えないといけない部分だとは思います。(差別の意図はありません。特権が存在しうるのかという話です。)
ここまでは、人工知能とかを人間と同格と見るかという話です。この言い方の場合、元来人工知能は人間より格下だというニュアンスがあると思います。では、人工知能が人間と同格だとした場合というのは実際にありえるのでしょうか? 例えば、人工知能はハードにせよソフトにせよメンテされていれば、人間よりも長く稼働できると思います。1,000年稼働できる人工知能に対して、人間は同格なのでしょうか? 1,000年の間には世代交代と、それにともなう教育が必要になります。これらをコストと見た場合、人間は人工知能と同格なのでしょうか?
ted2は面白ければ構いません。ただ、どう落とすのかにも興味があることはあります。