学習支援センター(1)〔Yomiuri Online, 2010年5月27日〕
> 授業を理解できない学生が教授の研究室に足を運ぶのは、気が重い。
>そうした学生を個別に助けるための学内機関を設ける大学が
>急増している。

なるほど。いま一つ実感ができませんが。私自身、大学でも大して勉強が出来な方ではないと思いますが、先生のところに足を運ぶのは別になんとも思っていませんでしたので。

>入試の多様化を背景に、「he(彼)」を「ヘー」と発音したりする新入生が
>見られるようになった。

揚げ足を取るようですが、"he"=「彼」という発想はどうなんでしょうね? 「ヘー」という発音を指摘している点も、単に"he"と書かれただけでは言語を特定するのは難しいし、言語によっては「エ」と読むかもしれない。あるはもっと他の読み方もあるかもしれない。「外国語=英語」という発想で書かれているように思える記事です。その時点で、記事を書かれた人が「学習支援センター」のお世話になったほうがいいのではないかなぁなどとつまらないことを考えてしまいます。

まぁ時代の趨勢と言えば、そうなのでしょう。しかし、学生を突き放す教育が意味のあるものとして見直されてもいいと思います。自己責任論ではありませんが、自分の選択には自分で一定の責任を持つ、あるいは学生同士のコミュニケーションを活性化させ、より積極的に自学自習に取り組むようにする。そういう方法は時代遅れなのでしょうか? 時代遅れならすなわち悪なのでしょうか? すべてお膳立てされた上で何かを出来たとして、それはその人にとってプラスになるのでしょうか? それをその人の能力・スキルだと言っていいのでしょうか?

私は、あらゆる能力・スキルの獲得の背景には、意思・信念というものが必要だと思います。あるいは、勉強にせよ仕事にせよ何かをやるためには、意思・信念というものが必要だと思います。その意思・信念は人により多様でしょう。しかし、それらを持ち合わせていない人が大学に進学して、本当に後々幸せになれるでしょうか?

私の感覚が古いだけなのだとは思います。