センター試験の日だったということで。どうなんだろ?でちょっと書いたことですが。

有名なジョークでDHMOというのがあります。基礎的な化学の知識を持っていればこれがなんなのかは、すぐ分かるわけですが。

これが有名になったのは、上のDHMOのリンクのところにも書いてありますが、 Nathan Zohnerさん(というか、1997年当時に14才なので「君」かなぁ)のプロジェクトというかそんなのがきっかけみたいなわけですが。で、Nathan Zohnerさんのこちら(←)のリンクをご覧ください。まぁ、なんというかですね、書いてあるように科学フェアとかがあるわけです。Nathan Zohnerさんのは科学だけでなく、心理とか社会とかも関連してきますが。

AOであるとか一芸であるとかですね、科学フェアとかそういう文化というか基盤が無ければ、評価そのものが困難なわけで。そういう文化がないところでAOだとか一芸だとかをやろうという方が無茶なわけで。科学フェアと書きましたが、科学技術に限った話ではありません。文学系にしたって、大人の価値観のお仕着せのような評価を参考にしたって意味がありません。

まぁ、ロボコンとか全国高等学校ロボット競技会とかあるわけですけど。高校生のロケットの大会もあったかな。でもですね、押し付けられた課題でやってるだけなんですよ。というかですね、ロボコン、あれがロボットですか? 放送を見てて、悲しくなるのは私だけでしょうか。RoboCupはいくらかましかなぁ。

理系寄りの書き方になりますが、問題がはっきりしたら、問題は半分解けたのと同じというような言い方があります。で、課題を押し付けてたら、意味が無いじゃないですか。いやまぁ、上に挙げたのはそれぞれに大会等の目的があるわけで、そういう面では課題を出題するというのは必要な過程だというのは分かりますが。なんというか、中途半端というか。こういうことを書くときには「日本的」とかって言葉を使うと便利なのでしょうけれど。

「もしかしたらとんでもない奴かもしれない」という人を見つけようとしたら、そういうやり方では無理があると思うわけです。技術として「とんでもない」ものを持っている人は見つかるかもしれませんが。科学技術の技術の方は、テクニックをテクノロジーにしようとしている面があるわけで、技術としてとんでもないものを持っていたって、極端な言い方をすれば、それは淘汰される側なわけです。一般入試以外で見たいのはそんなところなんですかという疑問が出てくるわけです。もっとも、「もしかしたらとんでもない奴かもしれない」という人を見つけようなどという意見は、はなから存在しないのかもしれませんが。

ともかく、「いけてる人」を見つけようとしても、そのための文化なんだか基盤なんだかが存在しない状況だということです。そのあたりから変えていかないといけないのではないかなぁと。まぁ、つらつらとそんなことを考えたということで。