Yomiuri Online > 大学の実力 > 「情報」は語る

> 例えば早稲田大学。1、2回目の「大学の実力」調査では、退学率や
>卒業率など主要項目で無回答が目立った。
[略]
> ところが昨年は、全項目に回答があった。

「大学の実力」の抜粋冊子をもらってますが、意味のない項目ばかりのように思います。それに全項目回答したからと言って、何の意味があるのか?

大学は、情報を公開する必要などないと思います。中身を知りたければ、高校生などが大学に潜り込んだり、講義に潜り込んだり、事務に聞いたり、先生を訪ねて行けばいいだけの話です。何とか率などという数字では見えないことがはっきりと見えてきます。

大学に潜り込むのは誰も咎めません。講義に潜り込んだって、教員が見慣れない学生を見つけても、「ヘー、高校生で見に来てるの。じゃ、見てってね」で終わりです。教員を訪ねるのなんて、例えば修士や博士への進学だったらあたりまえ。高校生がやったって、教員側は大歓迎です。

私も、高校生のときではなく、大学1年のときだったと思いますが、興味のあることをやっている他大学の先生を訪ねたことがあります。お昼もご馳走になって、長時間いろいろと教えていただきました。修士に進学するときも、他大学の先生を訪ねて、やはり長時間いろいろとお話を伺いました(考えてみれば、半分面接だったのかも。結局はそこには進学しませんでしたが。きちんとお詫びの手紙を出しましたよ)。

情報を受け取る側にとっては、大学側が情報を出した方が楽でしょう。時間もかからないし、足代もかからないし。でも、その「楽」は、何かと引き換えにして得ているものだと思うべきでしょう。例えば「熱意」とか。

そういえば、まぁこの話にぴったりというわけではありませんが、小学館の週刊少年サンデーに連載されていた皆川亮二先生(原作が誰だったかな?)のARMSという漫画に、こういう言葉が出ていましたね。

人の足を止めるのは絶望ではなく「諦め」
人の足を進めるのは希望ではなく「意思」
Webブラウザを眺めたり、冊子を眺めるのが「意思」ですか? 「行動」ですか?