デカルトは、(ego) cogito, ergo sum (我思う故に我あり)で有名ですが、そっちに行きっぱなしだと、「いやいや、その『思う』のも何者かのシミュレーションかもしれない」くらいのことになってしまう。
もしかしたらあまり知られていないかもしれないけど、デカルトは、一応そっちから、「やっぱ現実ってあるじゃん」というところに戻ってきてる。ただし、あまり合理的ではない過程でだけど。
というわけで、若い人に、「デカルトが使った帰り道を使うことは禁止」という条件付きで、「我思う故に我あり」まで行って、そこから逆に「やっぱ現実ってあるよね?」と戻ってくる過程を述べよというレポートを出した。
予想外だったのが、「我思う故に我あり」にすら合理的に到達できない人がほとんどだったこと。なぜその過程を考察できないのかが理解出来ないのだけど。ちゃんと帰ってこれる人は皆無だったかな。中には、何を勘違いしたのか、胡蝶の夢を解説してる人がいたり。
帰り道はたしかにちょっと難しくて、デカルトが合理的でない経路を通ったのも分からないではない。というか、デカルトにとってはそれが合理的だったんだけど。でも、「我思う故に我あり」に到達すると、そこを起点にして帰ってこれるんだけどなぁ。
だけど、これを行って帰ってくるのって、中学生くらいで経験してないのかなぁ? 私は小学校のころに行って帰ってきてたけど。
んー、世代の差かなぁ。
もしかしたらあまり知られていないかもしれないけど、デカルトは、一応そっちから、「やっぱ現実ってあるじゃん」というところに戻ってきてる。ただし、あまり合理的ではない過程でだけど。
というわけで、若い人に、「デカルトが使った帰り道を使うことは禁止」という条件付きで、「我思う故に我あり」まで行って、そこから逆に「やっぱ現実ってあるよね?」と戻ってくる過程を述べよというレポートを出した。
予想外だったのが、「我思う故に我あり」にすら合理的に到達できない人がほとんどだったこと。なぜその過程を考察できないのかが理解出来ないのだけど。ちゃんと帰ってこれる人は皆無だったかな。中には、何を勘違いしたのか、胡蝶の夢を解説してる人がいたり。
帰り道はたしかにちょっと難しくて、デカルトが合理的でない経路を通ったのも分からないではない。というか、デカルトにとってはそれが合理的だったんだけど。でも、「我思う故に我あり」に到達すると、そこを起点にして帰ってこれるんだけどなぁ。
だけど、これを行って帰ってくるのって、中学生くらいで経験してないのかなぁ? 私は小学校のころに行って帰ってきてたけど。
んー、世代の差かなぁ。
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