大友 啓史監督, 二宮和也, 豊川悦司, 東宝, 2013 Mar.
〔原作:東野圭吾, 幻冬舎, 2010 Jul.〕

どうでもいいことから。

なぜ、カメラがゆらゆら揺れるんだろう?パンもズーム・イン/アウトもおかしい。映像を見ていて船酔いしそうな気分になった。これも演出なんだろうか?それともお金がないゆえの手抜き?セットにはお金をかけたと自慢してるみたいだけど、そうだとしたらお金をかけるところを間違えてる。

で、プラチナデータは、人間のDNAデータというか、DNA内の塩基配列というのが作中の定義。実際のとこは、DNAの塩基配列は生命活動の基本情報に限定されない。よくある方のDNAコンピューティングなんかもあるしね。化学物質の並びではあるけど、むしろGeneと書いといた方が良かったんじゃないかと思う。あるいはGenomeの方がいいかも。

DNAを採取するとか、街中の防犯カメラ・監視カメラからのデータを集めるとか、そういうのを怖いと思う人もいるかもしれない。でも、まぁDNAや防犯カメラ・監視カメラはともかく、個人の様々な情報、例えば指紋も毛根付きの抜け毛も、交友関係も、その他様々な個人情報も、普通の能力がある警察が、普通にその気になれば、戦前からいくらでも集め放題。事情があって、そういう話を聞いてたからね。そういう個人情報が集められてしまうのが嫌だったら、さっさと死ぬしか無い。まぁ、食品工場などでも使ってる頭にかぶる抜け毛を落とさないかぶりもの、対防犯カメラ・監視カメラ用のサングラスみたいなの(どこで試作してたんだっけ?)、マスク、手袋、靴底の形を適宜変える仕組みなんかを常時身に付け、中学の途中あたりから不登校で引きこもり、郵便も宅配も電話もネットも使わない、ついでに言えば親も親戚も近所の人も皆殺し、あるいは親と親戚をさっさと殺して、ど田舎の村からも外れた一軒家に住むくらいの条件を満たせば、個人情報を収集されるのはかなり抑えられる。引きこもりで一軒家に一人暮らしなのに、どうやって生きていくのかは知らないけど。で、例えばPCの遠隔操作ウイルスの事件で確たる物証が無さそうなのは(実際には隠し球で持ってるのかもしれないけど)、警察が無能で、やり方を知らないから。

実際のところ、犯罪においては被害者やその周辺に落ちている生物学的個人情報から犯人を確定するのは、実のところ必ずしも容易ではない。偶然、関係のない人の生物学的個人情報、例えば毛根付きの抜け毛や血が、被害者についていたとか、周辺に落ちていたということもありえない話じゃないから。可能性を考えるなら、「偶然そこにあった」ということも考慮しなければならない。そういう冤罪も実際にあるしね。震災の福島原発で、「想定外は許されない」みたいなことを言った人は、この場合においても「想定外は許されない」と言わなければ、論理的に矛盾することになる。

作品は、DNAですべてが決まるかというような話なんだけど、そういう話は昔からある。塩基配列を解読し、犯罪者予備軍を予め逮捕するなんていう作品もあった。この作品では、DNAですべてが決まるかということに対して、科学者の人格と芸術家の人格という二重人格で、「そんなことはない」みたいなことを言ってるみたい。科学と芸術を対立する(?)ような能力という捉え方なんだろうけど、つまらない設定だ。まぁ、科学って言葉は出てこないかもしれないけど、artって英単語を辞書で引いてみればいい(古語であるartは別物だよ)。そういう捉え方もあるってことだ。

後は、「実はこうだった」というのが幾つもある。「実はこうだった」というのは、「こんなこともあろうかと」ってのと同じで、私としてはそういうのを使うのを全否定はしないけど、うまく使わないと、「あー、そうなんだ〜。すごいね〜(棒読み)」というようにしか思えなくなる。うまく使えば効果的なんだが。で、この作品は、使い方を間違ってる一例。むしろ、ミステリだと、「実はこうだった」というのがいくつもある方が好まれるのかもしれない。でも、「実はこうだった」とか「こんなこともあろうかと」というのは、作者の後出しジャンケンみたいなもの。まぁ読者が読むときには文字列は確定してるから後出しジャンケンというのはちょっと違うかもしれないけど、小説を読むときにはページに沿って読んでいくのが普通だろうから、その意味での時系列としては後出しジャンケンといってもいいだろう。映画も時系列で観てくから同じね。大雑把に言えば、「読者はこの程度の作品で満足するだろう」と作者に馬鹿にされているのだ。馬鹿にし、馬鹿にされることでミステリというジャンルが成り立っているとしたら、そうとう程度が低いジャンルだ。

個人的には、江戸川乱歩とか夢野久作とかは好き。夢野久作の方が好きかな。でも、ミステリの類として好きというより、時代背景や、異常性が好き。そこを分かる人は少ないかもしれないけど。

結論:お金の無駄だった。ネットカフェで無料視聴するなら、時間を潰すのに役立つくらいの作品。