大学なんかだとという前提で。このあといちいち断るのが面倒なので。

講義でも、学生の様子を見ながら補足したり、別の説明をしたりする。学生が質問をしてくれると助かるのだけど、なかなか質問してくる人も居ないので、まぁ雰囲気で何となく判断してる。そういう時、教室にもよるけど、スクリーンの脇にはみ出してる黒板を使ったり、一旦スクリーンを上げて書いたり。こういうのは小中高でも同じだと思う。一応両親が教員だったので話を聞いたことがあるけど、毎年ここでつっかえるという部分と、年によって違う所につっかえる場合があると言ってた。それは同じなようだ。あと、大学だとやったりやらなかったりだけど、少人数がつっかえてる場合、つっかえてる学生を見つけといて、全体に練習問題でもやらせといて、その間にその何人かのところを回って補足の説明をしたり、説明の仕方を変えたりする。これも小中高でも同じ。少なくともうちの両親はそうやってたと言ってた。

まぁ、本音で言えば、大学なら「この30冊(数は適当)を読んどけ」だけでいいと思うんだけどね。それでわからない所があれば、学生同士で考えた後、聞きに来てくれればいい。「学生同士で考えた後」というのは、一人ひとりが別々に来られても、時間がかかるだけだから。学生同士で頭をひねるのもいい経験だし。

私が学生の時には、とんでもない先生が居たけど。講義の最初から最後までものすごい勢いで板書する先生だった。板書をノートにとるのが追いつかないくらい。講義のあとで、その講義の内容は一体何だったのかと悩んだ。その講義の良し悪しはともかく、そういうのもありだとは思う。

テストだと、例えば、答えの数字だけを書かせるようなものはあまりやらない。そういうテストしかできないというものもあるにはあるけど。答えに至るまでの過程も書くようにしてる。で、採点の際には、学生は間違っていることを前提とする。最終的な答えは間違っていても、過程がOKなら、できるだけ部分点を付ける。たまに、「おー、講義ではやらなかったけど、そっちの解法できたかぁ」とか、「おー、その解法もありだ」という解答があったりして面白い。逆に、最終的な答えが正しくても、過程が駄目なら、「話にならない」と採点する。どっちかというと、正しい答えを出せるかどうかよりも、きっちり考えられるかの方を重視してる感じ。私が大学生だった時も、そういう採点をされてたし。小学校だと、こういうやり方はちょっとむずかしいかもしれない。中高なら結構こんな感じにできるんじゃないかと思うけど。

レポートは、レポートと言ってもいろいろあるけど、とりあえずこっちがテーマを設定して、あとは各自調べて書いてくるようなのが好き。テーマも結構大雑把なのしか与えないような感じの方が面白い。まるで話にならないのを書いてくる人もいるけど、「とにかく頑張ったのは分かる」というのを書いてくる人や、「こりゃ凄いや」というのを書いてくる人もいる。で、ここでちょっと不満があるのが、レポートは提出したらそれで終了と考えてる学生が多いこと。なので、google appsのサービスを利用して、google docsあたりでレポートを書くようにしている。これだと、こちらがコメントを書くのも楽だし、学生が直すのも楽。でも、やはり一回提出したらそれで終わりと考えている学生はいるけど、結構こちらのコメントに答えて直してくる。何回もコメントを付けて、だんだんいい感じになってくるのを見ると、正直面白い。いい感じになっていくのを見るには、学期くらいかかるようなテーマにしないと行けないけど。まぁ、そんなテーマはその辺にゴロゴロしてる。

小中高だと、レポートってのはあまりないかもしれない。作文とか、高校だと受験対策の小論文があったりとかかと思う。あ、小論文で思い出した。高校の時の小論文ので、学期末に先生に呼び出されて行ったら、なぜか提出した小論文の返却だけだったことがあった。だけだったというか、「印刷して学年に配ろうと思ってよけといたら、どこに行ったか分からなくなってた。この間、やっと見つけたので返しとく。配れなくてごめん」てな感じだった。配られたら、中身も恥ずかしいし、字も汚くて恥ずかしいので、配られなくてむしろ良かった。

私の場合だと、学生と先生の間を何往復もするのは、たぶん卒論が最初だったのかなと思う。学生の立場だと、面倒臭いとも思ったし、これは特定の先生の話だけど、赤で何と書いてあるのか読めなかったり、あるいは要求されることを書くために何をどのように書けばいいのか悩んだり、これもまた別の特定の先生だけど、直すところに下線を引くだけで、何がどのように問題なのかすら分からずに悩んだりというようなことがあった。でも、確かに最初の原稿よりだんだん良くなっていくのは分かった。その過程で(La)Texのしょうもない小技を覚えたりもしたり。

まぁ、そんな感じで、講義もテストもレポートも、学生との対話を求めている人は結構いると思う。その機会を学生が自ら捨てるのはとてももったいない。授業の形態にしても、対話の機会を減らすのはもったいない。

あと、私が若かったころは、テキストとノートがメインだったけど、とりあずそれを合わせて考えると、結局教材が個人用のものになっていく。個人用のものになっていかない人は、頭のいい人か、個人用に仕立てられない人。その辺りも若い人に伝えていきたい。これもまた難しいけど。