デジタル教材を推進している人が、「日本では未だにFlashを使った教材が云々で遅れてる」とかtweetしたり。それは、その人がデジタル教材を推進しているなら、その人の活動としてその点は既に改善されていなければいけないこと。

婚学といって、(文化)人類学でさんざん研究されていることを無視して、金を巻き上げようと頑張りだしたり(無視するというより知らないのかもしれない)。

なんで人間はこんなに間抜けなのか?

とは言いつつも、間抜けにはいいまぬけと話にならないマヌケがいる。まぬけは、むしろ居てくれないと困る。娯楽や文化の進歩がなくなるかもしれない。だけど、マヌケは違う。

先日読んだ哲学史の本の中で、誰かの考え方として、「多くの人間は、『このようにしろ』というものに隷属している状態の方が幸福なのだ」というようなことが書いてあった。まぬけは、そういうものに隷属しないかなり自由な人たちだ。尊敬する。だが、そのように書かれているような人たちはマヌケの方だろう。だが、哲学史に出てくるような話に、「隷属している状態の方が幸福」とまで言われてしまうのはなぜなんだろう。哲学は、まぁ行ったり来たりしてはいるけど、とりあえず人間には理性があると考えていると思う。そういう人たちが、なぜ人類はマヌケなのだと言うのだろうか?

ここで言っているマヌケは、分かると思うが、知能とかIQとは関係がない。知能とかは、一応正規分布になると仮定されている。マヌケかどうかも正規分布に従うとすると、なぜ哲学者にマヌケと言われてしまうのかが説明できない。つまり、マヌケかどうかは正規分布にはならないということなのだろう。

Monty Pythonのネタで、"How sweet to be an idiot"という歌がある。タイトルは知らない。そういう歌詞の曲だ。この歌は、英国的なブラックなネタであり、知能的な面でのidiotを歌っている。だが、本当に知能面でのidiotを歌っているのだろうか。もしかしたらマヌケを歌っているのかもしれない。

哲学者にしてもMonty Pythonにしても、「自分たちも含めて、みんな間抜けだ」と言っているのかもしれない。

追記(2013-Nov-23 19:37) ==== BEGIN
"How sweet to be an idiot"がYouTubeにありました。
こちらは、多分いつだっったかアメリカの屋外劇場での講演の時のだと思う。そのビデオを持っているので、こんんな感じだった気がする。
こちらは何なんだろ?ちょっと分からない。
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追記(2013-Nov-24 13:10) ==== BEGIN
"How sweet to be an idiot"の歌詞が表示されるバージョンもありました。

考えてみると、「アルジャーノンに花束を」がこの辺りを深く考察していますね。「アルジャーノンに花束を」の原題は、"Flowers for Algernon"。このFlowersの訳が難しいなぁ。作品の中身からは、邦訳からも分かるのですが、花束と言われて多分普通に思い描くものではないことが分かります。もっと質素なものを多分言っている。花の咲いた野草を2,3本でもいい、というより多分そちらのイメージの方があっているのかもしれない。あ、そこも具体的に書かれてたかもしれないけど。
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追記(2013-Nov-24 13:20) ==== BEGIN
歌詞が表示されるバージョンで見えますが、"And dip my brain in joy"という歌詞があります。これアメリカ公演のビデオの字幕だと、「僕の頭はパッパラパー」てな訳がついてた気がする。

Monty Pythonに限らず、普通の映画でもジョークなんかあるわけですが、翻訳者はその辺りでかなり悩むんだろうなぁ。日本語に対応させて、かつジョークになっていないといけないわけで。これが本だったら、脚注的に説明もできるけど。
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