これは今に始まったことではない。人が物を考えるとき、「確固たる根拠なるものがあり、世の中や現象や人々はそれに従う」という前提で考えるようだ。まぁ、見た限りそのように思える。もっとも、その「確固たる根拠」が、人が恣意的に決めたものであったりするのは、最悪級のマヌケだ。

我々が世界を見る場合、「確固たるものはない」という前提で見る。ではどのように見るかというと、ある体系内における要素の間における違いを見る。例えば、要素Aがあったとして、上述の人の場合、要素Aについての確固たる定義があると考えるだろう。だが我々はそうは考えない。要素Aについての確固たる定義など存在しない。要素Aを定義するには、要素B、要素C…との違いによってのみ可能だと考える。

もちろん、ではそのような違いをもたらしているのは何なのか、それについては当然考える。だが、その「もたらしているもの」自体も確固たる根拠ではない。観察している体系内に現れる要素が、体系の基盤に影響を与えるからだ。

この辺りのことも、私がやってきたようなことでは叩き込まれる。故に、確固たるものがあると考えている人とは話にならない。なので、「これこれと決まっているから」と言うマヌケは、猿だと思うことにしている。まぁ猿の方が賢いだろうけど。