"How sweet to be an idiot"ですが、この"sweet"って日本語訳するの難しいなぁ。アメリカ公演のビデオの字幕だと、とりあえず「素晴らしい」ってなってた気がする。「バカであることは素晴らしい」てな感じだったと思うけど。「素晴らしい」… うーん、多分そうなんだと思うけど、ニュアンスとしてこう何と言うか、「楽しい」みたいな感じもあるような気がするし、「気楽」という感じもあるような気がするし、"sweet"とは逆の意味(?)になるけど、歌詞の他の部分も見ると「辛い」みたいなニュアンスもあるような気がするし。"an"がついているから、個人としての感覚なんじゃなかろうかと思うので、個人の感覚とに対して「素晴らしい」という、外から見たっぽい感じは少し違う気もするし。"How sweet to be an idiot"だけでも、「訳せ」と言われたら、私はお手上げになりそうな気がする。「とりあえず訳せ」なら、やはり「素晴らしい」になるような気がするけど。

High Landerの"Who wants to live forever"も、High Landerの中身を観ていると、一般論としての「不死を誰が望むだろう?」というのとは少し違う。大昔のエピソードで、殺されたはずなのに蘇ったために部族か氏族から追い出されるとか、結婚したものの自分は不老であるのに妻は老いて死ぬとか、二次大戦中のエピソードで助けた娘がいるのですが、その娘とずっと暮らしていて、その少女が映画内の現在においては初老というか老年期くらいになっていて、ギャザリングのために主人公がその女性と別れるとか、そういうのが描かれている(あれ?宿敵に殺された女性が居たっけ?いや、あのエピソードだとショーン・コネリーが死んでたのか?)。なので、主人公の個人の思いとしての「不死を誰が望むだろう?」という気持ちとリンクしたり。映画の最後では、ある女性と結ばれるのだが、果たしてどうなったのか。(2作めで微妙に触れられてた気がするけど、私個人の気持ちとしては2作めは無いものと考えたい。)

んー、そこのところはハインラインの「メトセラの子ら」(これは長命種のシリーズの一作品)にあった、主人公が瀕死の重傷を負うものの、「死なせるわけにはいかないのよ」みたいな場面も連想したり。このシリーズの長命種は、そういう不思議な人種がもともと居たわけではなく、優生学的な交配によって創りだされた人種というか一族ですけど。

もう一つ印象に残ってる、不老不死ネタの小説があるんだけど、タイトルを思い出せない。

ただ、どれも、一般論としての「不老不死を誰が望むか」というというところで済ませていない。

なので、それらの作品が重なりあって連想されてると、"Who wants to live forever"がますます心に染みる。

関係ないけど、「黙示録3174年」とか「宇宙の孤児」とか、知識が失われて云々というのもいろいろ深いものがある。

まぁ、SFは最近だと「少し不思議」とか言われているけど、生ぬるい感じがしますね。大昔ですけど、「SFとはScience Fictionではない。Speculative Fictionである」という話がありました。日本では(日本に限らないか)根付かなかったように思いますが、思考する物語はそのあたりを主張していたような気がする。

パルプフィクションの時代に、推理小説の枠組みをSFに持ち込んだ人(あるいは人たち)がいて、H.G.ウェルズやジュール・ベルヌ、メアリー・シェリーの「フランケンシュタイン 現代のプロメテウス」にあったSpeculativeな要素が死に絶えたに等しいと言っていいくらいの状況があった(頑張っていた人は居た)。ただ、推理小説の枠組みを導入したことによってSFは大幅な劣化を余儀なくされ、SF読み自身もかなり劣化した(というか、劣化したSFなら読めるというSF読みが大幅に増えた)。大雑把な話、普通のSFは「実は」というのはあまり使われない(いや、使われるけど、そこが山場というのはかなり少なくなってる。あえて言うなら、「最初に全てを提示する。さてそこで何が起こるか?」というのがSFだと思えばいい。もっとも提示されるもののうち、状況は特殊なものが多い)。そこからSpeculativeな面を復活させるのはかなり大変だったとは聞いている。

ただ、日本だとSFの巨匠は居たし、居るのに、どういうわけかいまいちSpeculativeな方面が盛り上がっていない。SpeculativeとかハードSFというのが日本には根付きにくいのだろうか。

村上春樹氏を誹謗するつもりはないが、中身の無さを面白いと感じる人が多いらしいという状況を鑑みると、科学の知識が必要・どこまでが現時点での仮説であり、どこからが虚構なのかの区別がつく・著者が提示する議論を理解しながら読むということが必要なSFは、日本では受けないんだろうなぁと思う。

話が発散したけど、歌の歌詞でも映画でも小説でもマンガでも、読んだりしながら他の作品との関連付けをしながら読むと、面白さが倍増とかもっと面白くなるという話だということで。