先に映画のGRAVITYについてのエントリを書きました。

ハフィントンポストに関連しそうな記事があったのですが、どうも気になるので書いときます。

ハフィントンポストの記事の要旨は、「宇宙は不毛の空間。地球というゆりかごがあって嬉しい。持続可能な社会にしよう」というものかと思います。

しかしそういう解釈はどうも納得できない。先のエントリにも書きましたが、気になるのは次の点です。

音響が一人称的。ウォッカを飲むシーン。スピンオフのAningaaq ( http://gigazine.net/news/20131121-zero-gravity-spin-off-aningaaq/ )の終わり方(本編通信部分とリンクしてます)。どこに着陸したのか? エンドロール中と後の音。これらを考えると、「本当に帰還したのか?」と疑問になります。

なので、宇宙だと人は死ぬってところはいいです。でもそれを踏まえて何を感じるかというと、ハフィントンポストの記事とは違うものを感じてしまう。つまり「GRAVITY=脱出するのにエネルギーがかかるし、すぐに落ちていってしまう重力井戸≒牢獄(おまけに実際デブリに取り囲まれかけてもいる)」として描かれているように思えてしまいます。ここを乗り越えていかねばならない一つの段階として描かれているように思えるのです。