逆、裏、対偶とやっていくんでしょうかね?

最後のアリスの小ネタ劇場にて、アリスが言っていました:

私は思ったことを言いたいんじゃなくて、言ったことを思ったの

あー、これ、因果関係として前半は正しく感じ、後半はおかしいと思われるかもしれません。

ですが、神経生理学(や神経心理学)や、それ以外にも普通に言語生成だと「むしろ後半じゃね?」という可能性が指摘されています。

何をどう言うかのプランを立てることがないわけではないでしょう。ですが、少なくとも日常におけるほとんどの発話や会話においてプランを立てることを支配する管理者はいません。

デ カルト的な心身二元論によると、脳内の松果体を通じて肉体と魂が繋がっているとされていました。動物に松果体があるのかは知りませんが、人間には魂がある が動物にはないとも言っていました。まぁそれだけ「考える」ってのは人間の特権的な行為(?)であり、また魂を想定しなければならないほど「考えるってな によ」という疑問は答えが分からないということではありますが。なおこの魂の有無は西洋の伝統的な動物感でもあります。動物には魂はない。神が人間に与え たもうた生物機械である。ゆえにどう扱おうが人間の勝手という考えが根底に今も残っています。某グリーンな過激団体などは、むしろその反動でしょう。動物 との付き合い方や距離の取り方が不器用なのでしょう。

デカルトの言う魂は、「カルテジアン劇場の観客」、「脳の中 の小人」とも言えます。これは人間の認識に関する能力を全てそこに押し込めます。そうすると無限後退が始まるのであまりうれしくない想定です。ですが分か り易い喩えではあります。あまりに分かり易すぎて危険なほどです。なぜなら、そんな小人や特権的な脳の部位は無いので。(なお、「ホムンクルス」という言 葉が小人と同じような意味で使われる場合もないではありませんが、通常は特定機能を遂行する単位程度の意味です。「エージェント」という言葉も使われます が、同じ意味と思ってもらって構いません。前頭葉が特権的部位ではないかという話もありますが、それはある意味都市伝説です。前頭葉が全てを監督してなど いません。)

というわけで、「ナンセンスを意図したものが、ナンセンスになっていない」という事例になってしまっています。