チャールズ・ダーウィンの「生涯と書簡」という本に、こういう一節があるそうです。

人間と他のすべての感覚のある生き物が、長期にわたるゆっくりとした進歩の後、完全に絶滅する運命にあるというのは、耐え難い考えである。

地球上でも完全に絶滅するのは10億年以上未来の話だと思いますが(たぶん、太陽の寿命近く)。

人間に限ったとして、かつ人間が現在程度の文明を維持できなくなった場合に限ったとしても、その場合でもまったく同感です。

ですが、技術的な限界から、その可能性も考えに入れておかないといけない時点になっている、あるいは近づいているようです。

1970年代には明るい未来と、公害による暗い未来を見てきました。1980年代なかば以降は、暗い未来を見てきました。でも、その場合も、人間はその叡智でよりよい世の中を求める事ができるという思想が根底にはあったように思います。たとえば、公害についてですが、乗り越えたバッドエンドの1つでしょう(ひとまず国内に限定しても構いませんが)。

ダーウィン先生が生きておられた世界は蒙昧が支配していた暗い世界かもしれませんが、ダーウィン先生自身は明るい未来を見ておられたかもしれません。明晰な思考が広く行き渡るという明るい未来を。ですが、私たちはたとえば公害を乗り越えたという希望を見た後に、テロや科学に対する蒙昧、そしてエセ科学など、人間は叡智を持っていないことをも見てしまいました。特にエセ科学はダーウィン先生の時代、あるいはそれより以前から生き残っているものかもしれません。先生が思い描いておられたかもしれない明晰な思考が広く行き渡るという世界は、あるいは明晰な思考を持とうと人々が願うような世界は決して訪れない世界なのでしょう。

私たちは、「耐え難い考え」と共存し、もしかしたらその始まりを見なければならない世代かもしれません。