, Mark Wahlberg et. al, Michael Bay 監督, Paramount Pictures, 2014.

まぁ面白かったかなと思います。

ちょっと長いかなとも思いますが、案外長さを感じませんでした。ただ、前半(?)はじっくり描かれているのに対して、後半(?)は詰め込み過ぎのようにも感じました。この辺りは、感じ方の話かと思います。後半でガンガン盛り上がっているとも言えますので(実際、そのようにも感じます)。

前半では、悪徳会社というか、そこの悪徳社長のように描かれている人が、実は結構純真というか純粋というか、まぁ実は結構良い人だったというところの描き方も面白かったと思います。

ですが、6500万年前に何が起きたのかと、戦術核というのは、規模が違うような気がします。それとも6500万年前にはアレが多数使われてたのかも。それっぽい映像もあったような気がします。でもオプティマス・プライムの発言とはやはり矛盾するような気もします。

で、関係のない話ですが。

「猿の惑星:新世紀」のペラを持ってきました。読んでみるとこんな文言が:
荒唐無稽なSFでもファンタジーでもなく、徹底的にリアルなドラマ性を追求した映像世界は、
そういう考え方というか表現というかをそのまま否定はしたくありませんが。

"OBLIVION"だったでしょうか? 日本での宣伝において、「SFという言葉は使わない方がいい。使うと客が減る」という話があります。白水社の文庫クセジュに入っている「SF文学」では、SFと狭義のファンタジー(指輪物語やアースシーなどなど)を逃避文学(逃避文学が広義のファンタジー)としています。こまかくはともかく、「現実ではない」のが大前提です(とても現実に似ているという場合ももちろんある)。

そこで引用に戻るわけですが、逃避か現実かという対立項を持ち出すのはどんなものなんでしょう? 逃避文学にはリアリティ、あるいは「リアルなドラマ性」は存在しないというのでしょうか?

まぁ、それが客向けの言葉であることは分かります。

そしてSFだと、一時期の一部の作品を除いて、それを読むのに結構な素養が必要だったりします。で、まぁ書いたあれやこれやを考えると、日本の読者、視聴者、観客の典型例はどういうものになるのでしょうか?