ちょっと長いです。高校時代の先生が言ってたことから、色々と。

大学の程度は名前で簡単に見分けられるとのこと。地域名が入っている大学の場合、「その地域が狭い方が広い方よりもまとも」と言ってました。他意はありませ んが、その先生が言ってた例で、「東京大学」や「早稲田大学」は「地域が狭い」。対して、「日本大学」は地域が広い。まぁ「亜細亜大学」とかありますけ ど、広いですね。あと、「学院」がついている大学はちょっとなぁとも言っていました。その先生が言っていたことで、私としては他意はありません。いろんな ところで面白い事やってる先生がいますから。

最近だと「国際」とか名前についてる大学もありますね。これもその中に入るのかなぁ。

これはその先生が言っていた事ではありませんが、比較的最近言われているのは、名前にカタカナが入っているとやばいというのもあります。


そういうのよりも、まずいのがあるのかもしれません。

今どき、一つの都道府県で1,2個程度しか大学がないという地域はほとんどないと思います。ですが、まぁそういう土地があるわけです。

私の実家がある田舎の県でも9個とかあるし。その内の一つは仏教系の特殊な大学ですが。3, 4個は比較的最近できたとこですね(大雑把に20年以内程度)。


仏教系といえば、僧侶の資格を得る話。実家が寺の友人がいました。僧侶の資格を得るのにはそこそこ長い修業期間が必要になるようです。ですが、その友人の場 合(友人の家の宗派の場合)、いろいろな条件で(例えば、実家が寺とか)期間が大幅にディスカウント(?)されました。宗派によると思いますが。その話を 聞いて、一緒に大笑いしましたが。


閑話休題。

んで、大学の数が極端に少ない土地の場合。当然、他の土地の大学に進学する人もいますが、それでも大卒者は少ないようです。アパート生活とか親の負担になる のは確かなので、地元にある大学の数が少ないというのは、バイアスになるだろうことは想像できます。去年、今年とかという話ではなく、10年とかそれ以上 の話になりますが。

だからなのかは知りませんが、先日、コンビニに行く時に、会社の(?)先輩が後輩に(?)、「大卒だからってなぁ」というようなことを言っている場面に出くわしました。空耳してしまったのかと思いましたが、何回か言っていました。

それとは逆の場面にも出くわしたことが有ります。


そういう土地だと、なんというか、「頭お*しい」と思える事があるように思います。そういう土地だからというでもないのかもしれませんが。

何年か前の事になりますが、ある委員会でアンケートをとることになり、案を見たことが有ります。見事に誘導したいなとか、本気でこんなアンケート取るつもり でいるのかと思えるようなものでした。その意見を言うと、「上位委員会で決まったことなので認めてください」という返答が。「頭お*しい」のも、こうなる と見事です。上位委員会も「*能」の集まりかと思いました。


上位委員会がそうなので、おそらく学歴の問題ではないと思います。大卒の人も居るはずですし、博士を持っている人も居るはずなので。

すると可能性としては、地域性の問題が上がってくると思います。言うなら、gifted(元来の意味、使い方ではありません)な人が集まっている的な考え方とか、大卒はgifted(同上)的な考え方かと思います。

そうすると、「頭お*かしい」という状況は、地域性が支えている、あるいは形成しているのかもしれません。


地域性の問題意外にも可能性としてだけは挙げられるものもあります。例えば、知能の集団間の違いとか。まぁまず間違いなくそれはありえないと思います。


「頭お*しい」的な話は、土地の話とは別に、「根性論」とかそういう方向にも話が広がると思いますが、それについては少しだけ。

肩書でものを言う人がいます。「命令」で済むと思っているような人と言えるでしょうか。そういう人と議論をしようとしても、受け付けなかったりすることが有 ります。あるいは、議論とは自分が勝つためのものだという認識とか。勝ち負けはディベートというゲームでの話であって、議論には勝ち負けはないように思い ます。議論を受け入れないとか勝ち負けを求めるというのは、「頭お*しい」と思える行動、考えです。弁証法的なものが議論ではないかと思います。

その同類に「規則」を持ち出す人。その根拠は?と繰り返していくと、キレます。「頭お*しい」というか自分の知性の限界に達したことを認識したからでしょうかね?

そういえば「議論に勝つ方法」的な本もあり、売れてるらしいです。全国的に「頭お*しい」状況になっているのでしょうか?

んと、根性論そのものについては、下のキリスト教的云々の所に飛びます。


そういえば、「江戸しぐさの正体」という本を読みました。

江戸しぐさ自体、「江戸から続いている」という謳い文句を外して、提案するマナーを「江戸しぐさ」と名付けるなら、何も問題はないと思います。ですがそうではない。

1, 2年前ですが、ひと目みれば、「現代において、『こうであったら嬉しいな』という個人的願望で作られている」のは分かると思い、軽く考えていました。ですが、予想外の方向に進んでいるんですね。おまけに道徳の副読本や果ては教科書にまで使われるとか。

推奨しているTOSSは他にも、わざわざ選んででしょうけど、「頭お*しい」系の物を推奨していたり。

もう、「頭お*しい」のが人間のデフォルトかと思えてしまいます。


これはついでに。伯父が生前、「医師免許とっときゃよかった」と言っていました。時間が取れなかったので免許を取っていなかったが、取っておけば実験が楽 だったというような話です。生物物理化学でミトコンドリア(たぶんATP合成のメカニズムとかかな)を扱っていました。医師免許はいらないんじゃないかと も思います。生きた細胞なら口の内側を綿棒でこすっても取れるんじゃないかなと思いますが。そういうものでもないのかな? それで取れるのは実は死んだ細胞なのかな?

その伯父に進路を相談した時、化学系で私がやりたい事をやるなら、医師免許をとっとけと言われました。自分の話から流れて、どうせ覚えれば済む話だから的な流れで。というわけで、私にとっては医師免許は、何かするのに便利な場合があるからとっとけくらい。(化学系でやりたかったことは、DNA設計、言い換え れば人工生物の設計。ナノマシンだと白血球くらいのことはできないとなぁと考えていたので。)

実際工学の学位と医師免許を持ってる人ってそれなりにいるんですよね。

まぁ私は工学系に進みましたが、こっちはこっちでここ100年くらいの文系の話を勉強する必要がありました(今もあります)。

なので、「頭お*しい」のはむしろこっちかもしれませんが。


ある医師との面談では、その医師はこちらの表情や言葉の言い回しにまったく注意していません。有標な言い方をして気づかない。これは言語運用の準用な部分に重大な欠落があるように思います。

内科医、精神科医を受診したことがあればわかると思いますが、だいたいこちらの表情や言い回しに敏感です。話に聞くと、そこから重要な情報が得られるかららしいです。

そういうことを考えると、藪医者は医者として、それなりに能力を発揮するでしょう。ですが、その面談をした医者は「土手医者」と呼んでいいように思います。あ、土手医者はそれでも医者にはカウントされるので違うか。

「頭お*しい」人でも医師になれるのかと思います。


というわけで、話が元に戻りますが、大学数が極端に少ない都道府県にある大学には勤めるのを避けた方が良いかもしれません。

全てではないでしょうし、大学数が多い所でも同じようなことは起こるのでしょう。

それでもなお「頭お*しい」組織である可能性があります。


「頭お*しい」人は「基準を守るべき」という考えのようです。

さて、基準とはなんでしょうか? いまでもキリスト教は人生は役務である考え方があります。その考え方だと、労務は厳しいほど良いとなります。それは昔、労働者を酷使していたことから労働者を少しなりとも守ろうというものです。

少なくなくない組織において罰則のある規則があるのは、結局そういうところに起因するんではないでしょうか。

もし、各人が幼少時に自分が人生でやることを見つけているなら、規則が不要とはいいませんが、かなり違うものになっていたと思います。

人生は役務と考えるなら、「斯くの如く行うべし」に対して、罰が付くでしょう。

それに対して、自分が行なう事が降ってきた人は、「そのようになるべし」としか言えないでしょう。


で、結論。

この社会や組織は「頭お*しい」を基準に作られている

人間にとっては外部プログラムに従うので楽でしょう。ですが、ヒトにとっては地獄です。

そこで言いたいのは、Homo Sapienceは単一種ではない可能性を検討してみることももしかしたら必要ではないかと思います。

なお、農耕が始まったのが1万年ほど昔です。んで文字が現れたり都市国家が現れたのが5,000〜6,000年前。この5,000年〜6,000年前と比べて、現代人の脳容積は減少しているという報告があります。その理由として、農耕は行なわれていたのだから、栄養面でどうこうということは考えにくい。むしろ文字と都市国家の登場が直接的に影響しているのではないかという説があります。記録にせよ、ルールにせよ、覚えておいたり場面場面で考える必要性を排除しており、脳容積に対する淘汰圧が弱くなったという説です。それが知的能力に直結するわけではありません。要らなくなった所が小さくなったのに対して、必要になったところが大きくなっているのかもしれません。まぁ脳は体中の20%のカロリー(だったかな)を消費しています。これはどう考えても消費しすぎです。農耕が行なわれようと、都市国家などの形成により、使わなくていい部分が現れれば、淘汰圧によっても生育期においても小さくなる傾向が現れると想像できると思います。


問題は、それでどこまでやっていけるのかです。文字などの過去の遺産に寄生する形で、どこまでやっていけるでしょうか? 脳容積が500mlのホモ属かアウストラロピテクス属かでも結構高度な道具を作っていたということなので、仮にそこまで減っても遺産を使っている限りはどうにかなるかもしれません。(ホモ・ネアンデルターレンシスが1400ml、ホモ・サピエンスが1350ml。)


ですが、先にNHKスペシャルでエネルギー問題をやってた時、登場した人が「エネルギーはまだまだ大丈夫です」と言っていました。個人的には、おそらくこれは限界点を既に超えてしまっているように思えます。専門家でありながら視野が非常に狭い。その点で限界を超えていると感じます。