Computer

映像に関してのUIあるいはデヴァイス

人 間の網膜には錐体というRGBに対応する視覚細胞と、明暗に対応する桿体細胞があります。視野の中心部には錐体細胞が馬鹿げた密度で配置されています。そ の周辺では錐体細胞は減り、桿体細胞がそれなりに多く配置されています。で、何を言いたいかというと、実のところ人間が「自分の目は解像度高い」と思って いるのは間違いだとことです。それが言えるのは視野の中心部のみ。周りはボケボケにしか写っていません。

では、自分の視野についてどうして「高解像度」と思っているのかというと、おそらく理由は2つあります:

  • 目(視野なり視線なり)を動かして(目のサッカード運動(?)というらしいです)、その結果得られたものを合成(?)している
  • その上で、「高解像度」というのはただの勘違い(周囲はこうなってる気がするというラベルとかタグとかが貼り付けられてる感じかも)

なので、普段は自分の視覚の特性に気がつかない。

では、これを逆手に取ったUIは作れないだろうか。そう考えると、実は「今、編集している部分の数行だけ大きく表示して、その前後は小さく表示する」というエディタが昔にはあったりします。

サッカード運動の最中に提示している情報を切り替えても、(当然ものによりますが)気づかれないとか(切り替わっていることを知覚してはいるが、情報の洪水に対してそれを無視する戦略をとっているらしい)。文字列とか本とかを読んでいると、気づきにくいらしいです。

そうすると、上のエディタの例だけではなく、google glassあたりにおいて、目が動くのを検知して、高解像度の部分を変えたり、提示情報を変えたりすることで、表示領域を有効利用できるんじゃないかという気がします。

ちょっと処理が面倒になると思いますが、小さいカードUIよりは、実質的に多少なりとも広い表示領域を提供できるようになるような気がします。余計な計算が入ることになるので、そんなことはやらないというのが結局よろしいのかもしれませんが。

Lifelogというか尖った未来

この記事で紹介しているMovesがどうのこうのという話ではないということをとりあえずまず書いておきます。


ここのところのウェアラブル機器とかスマートウォッチとかで言われているライフログって、ライフログって言い出した人の考えてたものからズレてる気がします。とりあえず言うなら、「ヴァイタルログ」という呼び方の方が良いような気がします。


ラ イフログのライフが「生命」とか「生きてる事」とかの意味なら、最近の使われ方でも構わないと思います。そういう意味も含んでいたのは当然ですが、どっち かというと「人生」という意味あいの方が強かったように思います。「人生の記録」が、脈拍や居場所の記録で良い、というか構わないのでしょうか? 何をしたか、何を感じたか、何を考えたか、そっちは置き去りで構わないのでしょうか? あるいは、その辺りはエディタとか、見たものはムービーやカメラ、聞いたものはレコーダで構わないということでしょうか? それらを統合しなくて構わないのでしょうか? 統合しましょうよ。


「こうあるべき」という考え方は好きではありません。なのでそういう言い方はしたくありません。


ただ、ライフログに限ったことではありませんが、20数年前から15年くらい前の間に、尖った研究者や製品、フィクションを通して、当時から見て未来を、そ れなりに今に近い世界を(もっと未来も)、見てしまっているという感じが強いのです。理念も込みで。刷り込みに近いかもしれません。


「理念も込みで」ということの影響がやはり強いのかもしれません。いくつか今ある製品を見て、「本当にそれはあれの後継者なのか?」と思う物も、まぁ実際にあ ります。世の中では「革新的」と言われている物の中にも、「20年前と何が違うの?」と思う物も、まぁ実際にあります。


例 えば、コンピュータ(タブレットも込みで)。こんなにアプリケーションに縛られた未来など、20年前には見ていません。これは当然使い方次第での話です。 ですが、今はもっとアプリケーションに介入できたはずです。例えば教育環境へのICTの導入(特に小中高)。20年前か15年前に見た未来のままじゃない かと思います。例えばデジタル教科書。アラン・ケイが言った(研究も続けられています)、Dynabookはそんなに不自由なものだったのか? どれもこれも誰かが言っていた理念をどこかに置き忘れて来ているという印象をどうしても拭えないのです。

これは私 の世代における呪いのようなものかもしれません。70年代には無闇矢鱈に明るい未来を見せられ、また同時に公害による暗い未来も見せられ、80年代以降は On The Edgeな未来を見て、そしてまた80年代以降は尖った理念を見て来ました。公害による暗い未来やOn The Edgeな未来を見ているとは言え、明るいとか理念とか、そもそもOn The Edgeな未来ですら、結局尖った未来を見続けて来ているのです。そりゃ、今はもっと尖っていたはずだと思ってしまいます。


もちろん、尖り続けている方々もいますし、尖り続けている理念もあります。ですが今の人達は、その尖ったものをどれほど見ているのでしょうか?

最近の教育に関する報道などについて

以前、少し書いたような気もするけど、検索で出てこないなぁ。というわけで、そのあたりも含めて書きます。

えーと、神話とか昔話には、現在の人から見ると非合理的な話があったります。今どきはそういう考えは少ないのだろうなと思いますが、非合理的なところを見て、昔の人(有史以前とか、クロマニヨン人系列とかも含めて)の知的レベルが低かったからだという意見もあります。

私としては、そういう話でもなかろうと思っています。というわけで、人間の知力(?)を、「何を知っているのか&何を信じているのか」と、「どのように考えるのか」に分けて考えてみます。もっとも、そんなにすっぱり切り分けられるものじゃありません。例えばの話ですが、「知っている」の方は、Prologのプログラムに与える事実に相当するとしましょう。「どのように考えるのか」は、Prologのエンジンそのものの機構のようなものに相当するとしましょう。こんな単純な比喩であっても、「じゃぁ、Prologのプログラムのルールはどうなるんだ?」という疑問が湧いてきます。いやー、どっちなんでしょ。

ともかく、このように2つに分けるとします。何を知っているのかについては、昔と今とではまるで違います。ですが、どうも「どのように考えるのか」については、そんなに変わっていないのではないかと思っています。「どのように考えるのか」が変わっていなくても、「何を知っているのか」が違えば、何かを見た時にどのような結論に至るのかは当然異なります。例えばの話ですが、天動説の下であっても、観測に合うように精一杯頑張って理屈をつけていたわけです。まぁ、「どうもおかしいよなぁ」ということも発見されていたわけですが。でも、そのあたりもいろいろと「どのように考えていたのか」の問題ではないように思えます。「何を知っていたか&何を信じていたか」の問題ではないかと思うのです。単純に言えば、追求していた事自体は間違いない(その追求が教会によって禁じられていたりとかいろいろありますが、それについてはちょっと下で書きます)。で、その追求にあたってのどのように考えるのかは、変わりないようにしか思えない。

で、神話や昔話ですが、これは部族などなどによって違いがあるのでおおまかな話にしかなりませんが、ちょっと書いておきたいことがあります。神話や昔話は、部族などにおいて好き勝手に語られてきたというイメージを持っている人もいるかと思いますが、そういうものでもありません。語ることを許された人たち、あるいは語る権威を持った人たちが居ました。で、これについての素朴な感想として2種類あります。1つは、そういう人たちは伝えられた通りのものを語っていたというもの。もう一つは、そういう人たちも語り間違えたり、思いつきで内容や語り方を変えたというもの。まぁ、どちらもあながち間違いではないのですが。ですが、語ることを許された人たちは、語る内容と語り方についても変えることを許されていました。これは、好き勝手なことを語っていいという意味ではありません。大雑把に自分たちのバックボーンになるものですから、好き勝手に変えて良い訳がありません。では、なぜ変えることが許されていたのか? 単純な話で、どのように考えるのかを訓練されていたからです。語る内容や語り方を変えるとか、自分たちのバックボーンという言葉からは正史史観も連想されるかもしれませんが、それはまったくの別物。正史史観だと、目的に沿っての書き換えが基本だと思います。ですが、部族とかにおいて語ることが許された人たちは、思索によっての書き換えが基本と思ってください。さて、キリスト教の場合ですが、秘密部隊ってわけじゃないですが、考える人たちがなんだかんだ言っていました。そりゃ、居なければ異端審問そのものもできない(Monty Pythonのスペイン宗教裁判みたいなまぬけなわけがない。いや、まぁあんな感じと同列のマヌケも居たかもしれませんが)。まぁ、針の先の上で何人の天使が踊れるのかとかやってましたけど。考えることを禁止していたキリスト教でも、考える人達は内側にも外側にも居たわけです。聖書自体もちょこちょこ変更が入ってますし、変更ではなくても注釈はガンガンつけられています。

「何を知っているのか」というものは、単純な話としては教員の側からは「覚えてね」というものです。それに対して、「どのように考えるのか」については、これ、教員の側から学生に「頑張ってね」というだけでは無理です。

古代ギリシアの哲学者たちは、対話を重視していました。この記事を哲学者達と並べるつもりはありません。ですが、どのように考えるのかについては、対話を通した訓練以外に、身に付ける方法がないのではないかと思うのです。対話と言っても、古代ギリシアだったら対面か手紙でしょう。現在でも対面と手紙はありですが、他にも電話、電子メール、google Docsのドキュメントなどなどいろいろとあります。ともかく、対話・議論が行なわれること自体が必要です。昔の文壇や学会でも、雑誌や会誌をつかって、書簡を公開することで誌上討論とかやってました。そういうのも込みで。

対話・議論というと、コミュニケーション力とかを思い浮かべる人もいるかも知れませんが、そんなもんはどうでもいい。どのように考えるのかの訓練であり、自分の考えの誤りに気付く機会であり、弁証法的に少しでもましななにかに至る方法です。相手をやり込めるとかいうような、どうでもいい話はここでは無視しています(議論におけるオフェンスとディフェンスは、ディフェンス側が自分の知識と考え方が妥当であることを示すとこが目的なので、自分が自分のそれらを守れることを示せばいい。相手をやり込めるのとは全くの別物です)。

現在の教育現場では、この「どのように考えるのか」、およびそれを訓練するための対話が、あまりにも軽視されているように思えます。「何を知っているのか」と「どのように考えるのか」のどちらが人間の知性にとってより上位であるかという話ではありません。どちらも等しく必要です。ですが、現在の教育現場では「どのように考えるのか」の訓練があまりにも軽視されています。

で、やっと最近の教育あたりにつての話です。「反転授業」(に限りませんが)によるビデオ学習、デジタル教材による自学自習。まぁ「何を知っているのか」、つまり知っていることを増やすにはそれでも構わないと思います。ただ、そこ止まりでしょう。反転授業では、学校では学習が進んでいる生徒がそうでない生徒に教えるというようなことも想定されているようです。ですが、それは「何を言っているのか」の伝播に過ぎません。ですが、世の中、デジタル教材バンザイ、反転授業バンザイ、となっているように思えます。まぁ反転授業については、学校で教員と議論すればいいだけの話ですし、わざわざ反転授業という名前をつけなくても、家庭での学習って必要だよねということを言っているだけに過ぎないわけですが。反転授業あたりだと講義ビデオの配信なんてのもあります。対話の理想的な形としては、疑問に思うことがあった時に即座に質問できるというものを挙げられます。ビデオ配信では誰も答えてくれませんが。もっとも、タブレットでテレビ電話みたいなことやその他の方法で学校にせよ塾にせよ好きな時に対話はできます。まぁ話すだけでよければですが。「どのように考えるのか」を訓練することが念頭にない人たちに、どうやってそのあたりの指導をさせるのか? 答えは単純で、「無理、不可能」。

ともかく、最近教育業界で言われていることは、結局のところ「何を知っているのか」に関するものに偏っています。あるいは、教育とは、生徒の目の間にデータを流せばそれでいいという考えなのかも知れません。ですが、それは教育の、一側面しか見ていません。だからこそ、マヌケなデジタル教材とかが囃し立てられるのでしょうが。(私はデジタル教材には反対していません。現状のものは使い物にならないと言っているのみです。少なくtもアラン・ケイのDynabookくらいのものは実装して来ないと話にならないと考えています。)

何も見つからない

2013-Nov-18にEテレで放送したTEDのプレゼン内にて、Epagogixという会社があります。興味を惹かれたので、googleで検索しました。

Epagogixのサイト内に、各メディアでの紹介があったり、どっかのセミナーでのスピーチがあります。スピーチは1時間くらいかけて聞きましたが。

他のサイトも覗いてみました。

しかし、重要な情報がなにも見つかりません。あるいは少なくとも見つかりにくい。

会社の性質を考えると、いろいろと公開するわけにも行かないでしょうから、予想どおりではあるのですが。でも1時間のスピーチを聞いて、瑣末なことではあるけど少しわかったこともある。

今回は、この会社の存在と、何をやっているのかが少しだけわかったことでよしとするしかない。あと、こちらの進む方向性とは別方向だということは確認できたとおもう。Epagogixは収益の予測に特化してるみたい。

Hollywoodの映画作成方法にはビートシートメソッドというのが多く使われているのはよく知られているとおり。ビートシートメソッド自体は、同時代あるいはそれより随分前の物語分析をベースに作られたものだと思う。その物語分析によって得られたモデルがどれだけ強力なのかということを、今でも示し続けている(質においてもそうだと思いたいし、量についてもこのメソッドは貢献しているだろう)。とは言え、ビートシートメソッドのお陰で、「ハリウッド映画はどれも似たり寄ったり」という印象を受ける、あるいは受ける方が居るのも確か。

Epagogixは随時評価アルゴリズムの更新を行なっているとのことだが、ビートシートメソッドと同じようなことが起こるかもしれない。評価アルゴリズムも、たとえば興行地域ごと、ジャンルごとなどに用意すれば、すこし状況は少し違ってくるかもしれないけど。ただ、だとしても世間の求めるものが急激に変わったり、あるいは評価アルゴリズムがどういうわけか世間の評価とずれてしまうということも起きうると思います。そうなった場合、どういう絵一映画(2013-Nov-21 09:00 修正:タイポ(?)を修正しました)が作られるのか、映画ファンはどういう行動をとるのか。

そういう状況を見てみたい気もしますが、アルゴリズムの破綻やアルゴリズム同士の衝突によって、どういう意味においても面白いと思えない映画ばかりが上映されるようなことになったら辛いなぁ。

恥ずかしい

GIGAZINEでフランスの42っていうコンピュータ系専門学校の記事があった。

42っていったらあれでしょうと思い、「質問が何だったのか教えて欲しい」みたいなツイートをしてしまった。

で、42のサイトを見たら、当然FAQを発見。「どれどれ」と思って見たら、FAQの最初にはっきり書いてある。恥ずかしいツイートをしてしまった。でも面倒だから消さない。というかこんなエントリを書く時間で消せるけど、どうせだから消さない。そうか、ヒッチハイカーもvoyageurになるのかぁ。なんかすこし感じが違う気もするけど。へー。(google先生の翻訳で試してみると、ヒッチハイクガイドになるなぁ。そうなのか。)

でも、こういうネーミングって賭けだよね。分からない人には分からない。42はかなり有名なネタだと思うけど。

追記(2013-OCt-31 22:15) ==== BEGIN
上の「42っていったらあれ」のリンク先はwikipediaですが、そのはじめの方にこう書いてある。

奇抜な、ほとんど意味不明の領域に近づいたアイデアと、

Monty Pythonとか観てると、ナンセンスでシュールな感じなのが英国の笑いの標準なのかとか思ってしまう。多分そんなことはないのだろうけど。42のネタ元もナンセンスでシュールな感じなのはMonty Pythonと似てる気がする。元の作者がMonty Pythonの関係者と知り合いらしいから、その面で似てる感じがするだけであって、この感じが英国の笑いの標準ってわけじゃないのだろう。これが標準だった、ある意味で怖い。
==== END

翻訳ってむずかしいなぁ

Plantronicsのヘッドセットの話。

これというか、この会社のと言うか、ヘッドセットに音声ガイドが入っていて、音声コマンドもいくつかはスタンドアローンで受けつける。

昨日、ちょっとサイトを覗いたら、いつのまにか音声ガイドと音声コマンドで日本語が利用可能になっていた。なので、喜んでヘッドセットの中身を日本語に書き換えた。…のだが…

音声ガイドは、意外にも普通に普通なのだが(だったと思う)、音声コマンドにおかしなのが混じっている。考えると、「あぁ、そうか」と思える日本語なのだけれど、「そういうふうに使うかなぁ?(あの英語にこの日本語を対応させるのはどうなんだろ?)」という感じが否めない。

というわけで、英語に書き戻した。書き戻したというか、多分バージョンが上がってると思うけど。

結局、ソース言語にもターゲット言語(で良かったかな?)にも馴染んでいないといけないので、翻訳は難しいよなぁという話。

追記(2013-Oct-18 17:40) ==== BEGIN
思ったんだが、私はとりあえず計算機界の住人。スマホ界の住人には自然な訳なのかもしれない。

んー、でもBluetoothの機器には私が慣れてる言葉が書かれてるけどなぁ。

あ、私が買うようなBluetoothの機器は計算機界の機器なのかもしない。

実際のところは分からないけど。
==== END

Webページ改訂中

SSDに入れて持ち歩けるくらいローカルな環境で、Webページの改訂中。
追記(2013-Oct-20 23:00) ==== BEGIN
ちょい聞かれたので。

SSDに入ってるのは、webページの中身のデータだけではありません。エディタとかIDEみたいな編集環境も入っています。

SDカードとか、普通のUSBメモリとか試したけど、イマイチアクセスが遅い。SSDだとまぁなんとか。そういう理由でSSDに入れて居ます。
==== END

CSSとか忘れてて、イメージしてるようなページの表示をさせるのに結構手間取ってる。背景画像も悩むし。JavaScriptとかは特に使わないつもりだけど。

CSSもCSS3で書いてるし、HTMLもHTML5で書いてる。まだどっちも正式に制定はされてないんだっけ? まぁ、それでもいいけど。HTML5を使う理由はあまり無いのだけど、まぁ次期標準ということで。sectionとかheaderとかfooterとかnaviとかは使うけど。

それでも気になるのが、HTML5がなんでXHTMLの流れにないのかということ。と言うか、CSSがあるんだから、XHTMLはあるにしてもXMLでいいじゃんと思う。標準DTDとしてHTMLっぽいのが定義されてればいいだけで。

まぁ、そういうのを言い出すと、canvasが云々とかいろいろあるけど。

単なる記法としてであっても、XHTMLの流れにある方が、個人的には嬉しかったな。

Assistant

AppleがNewtonを作って居た頃、アシスタントと呼ばれるのが多分2種類アリました。

一つはNewtonの機能。これは慈愛的に自前でやってたと思う。手書き文字入力は確実にできて(文字入力ではなく手描き入力で)と音声入力も受け付けてたかもしれない。

もう一つは、デモビデオがあったはずだけど見つからないや。誰か見つけたら教えて下さい。ともかく、オフィスの受付とか個人の机の上に、ホログラムかなんかで人工知能の顔が出て、それと会話する感じ。もちろんオフィスとかに限定の話ではなくて、持ち歩きの機器(想定的にはNewtonか後継機)にも、そのアシスタントの顔が出てくる。もちネットで繋がっている状態で。

Siriとかがそこを目指しているとか、部分的には凌駕しているのは分かる。でもドキドキ感が無い。Assistantにはkそれが幻想であっても、人格を感じる気がする。

そういうのを観てきているので、「スマホ?ふ〜ん、やっっとそれもできるようになったんだ。」くらいにしか思えない。まぁ、今のスマオで、提示されているビジョンにどうやって近づくかは片手間の仕事しては面白いけど。

で、話は変わるけどRingBlgosの記事ねとらぼの記事)というデヴァイスの構想があります。面白そうです。Smartwatchとは微妙に違って、ほぼ完全に入力&コミュ&電子財布&IDのデヴァイスのようです。ここまで割り切ると逆にいろいろ使えそうな気がします。ただ、イメージ動画にある、「Hi, tony!」とか「$12」は見えていないと不安な気がします。Google glassのようなものを前提なのでしょうか?SmartWatchがそれなりの機能を持っていれば、SmartWatchでも構わないと思いますが。

通信機器+コンピュータとしてスマホを位置づけると、glass(これは自律みたいですが)、SmartWatch、音声コマンドを受け付けるヘッドセット辺りが揃うと、ワクワクな感じが感じがします。

ネットXX

最近は、ブラウザ上の(クラウド)アプリケーションがいろいろあります。Google DocumentとかZOHOZOHO日本とか。

あるいは、ネットOSというようなものもあります。ZeroPCとか、eyeOSとかCorneliOSとかGlideとか。

そんなのを使わなくても、WindowsかX-winow sysemならがVNCだとか、X-winow systemだけでも良いし、X-window sysemならsshで飛ばしても良い。

これらの場合、描画のかなりの部分をブラウザに任せており、ブラウザ内でアプリケーションや仮想的なOSが動くことになります。

FireFooxOSなんてのもあります。今のところ携帯用ですが、上に書いたようなことをやっているわけです。

すると、OSに対してのアプリケーションとしてのウインドウというものは必要でしょうか? もはやブラウザがウィンドウマネージャとしてしまっていいのではないだろうかと思います。もっともウィンドウマネージャは好きなものに楽に変更できるという前提で。

もっとも、すべてHTML5 + CSS3 + JavaScriptでやろうとすると、面倒だったり制限があったりするので、ネイティブのプログラムもあると思います。ネイティブのというより、HTM5 + CSS3 + JavaScriptとネイティブとのハイブリッドでしょうか。たとえばDBアクセスはネイティブに問い合わせ、帰ってきたものをブラウザに返すような。

追記(2013-Oct-03 14:35) ==== BEGIIN
ZeroPC2  ZeroPCの画面はこのような感じです。ブラウザの画面の中に、そのままデスクトップがあります。

こういうのを見てしまうと、ウィンドウマネージャ(?)と、ブラウザが別個に必要なのかと思ってしまいます。

ウィンドウマネージャが実はブラウザで、仮想スクリーンもwebページもタブで行き来できたっていいように思います。

なお、現在eyeOSはよくわからない状況になっていますが、以前は、ブラウザ上ではないという意味で、ネイティブにOpenOffice.orgを動かし、その画面というかウィンドウをeyeOSが動いている(表示している)ブラウザの中に表示することもできました。
==== END

教育へのICT導入について

今迎える、“ハイテク教育の黎明期” 電子黒板、タブレット端末、… ICT機器がもたらす、教育改革 目標は、2020年に「1人1台のタブレット端末の整備てな記事があります。

「動画を使った授業をしたり、海外との交流に使ったりしたい。(東京都・短大・大学・大学院・男性34歳)」
てな話がよく言われます。でも、単純な疑問があります。時差をどうするのでしょうか? 仮に英語を対象とするなら、通信相手は東南アジアのどこかか、なんとかオーストラリアでしょうか。なんとなく、「いいのかなぁ?」という気がします。それとも、教育目的で世界中のどこからでもアクセス可、要は24時間利用可能というものがあるのでしょうか? どっちにしろ、ボランティアを期待して、ボランティアに任せるというわけにも行かないと思いますが。

もちろん、音声通話でなくて、メールでも海外との交流には使えます。で、授業にどうやって組み込むんだろ? 次回の英語の授業で返信を読んで、さらに返信。そのまた次回で返信を読んで、さらに返信とかやるのでしょうか? 授業としてはやりにくい気がします。

大学で学生がプレゼンテーションをするのを見るとよく分かるのですが、少し前の時代の学生と比べて、現在の学生は、表現力が豊かになりました。
そういう意見の人もいます。でも、表現力豊かなプレゼンというのは、かなりの割合で見難い。目がちかちかするようなのとか、アニメーション(?)がヒョコヒョコ動いてたり、箇条書きを一項目ずつスライドに追加するようなのとか。アニメーション(?)なんか邪魔なだけだから不要。箇条書きなんか、いっぺんに表示させた方が、読む方にとってはいっぺんにスライドを読み取れるので、発表する人がなにを言うのかが分かりやすい。一項目ずつ追加されると、そのスライドでなにを言うつもりなのかが逐次的にしか分からず、却って分かり難い。表現力よりも、要約とかそのあたりの技術の方を指導して欲しい。

んで、上の記事ではないのですが、タブレットを導入すると算数・数学でグラフを表示できるというような話もあります。ですが、それだけならグラフ電卓(HP, TI)で構わない。日本で実施されている資格試験や、米国だと資格試験だけでなく学校のテストでも、持ち込み可能な電卓(グラフ電卓とは限らない。関数電卓や金融電卓もある)が規定されてたりする。タブレットだと「この電卓アプリは使用可」としといても、他の電卓アプリもインストールできたり、テスト中に使えたりするので、どうしたものだか。なお、タブレットはカンニングペーパーになるという話もあるだろうが、グラフ電卓あたりはノート機能があったりするので、その点は変わりはない。持ち込み可な電卓は、ノート機能がないもののみに規定されているのかもしれないけど。その辺も考えて、テストに電卓の持ち込みを認めるなら、普段からその電卓に慣れておいた方がいい。

グラフ電卓だと、教員用端末からの資料などの配布が可能なのは機種が限られるか、もしかしたら無いのかもしれない。

それと、アニメーションも、たぶんグラフ電卓では見えない。でも、そんなのは黒板の方でやればいい。個別にアニメーションが必要な場合というのは、たとえば物理あたりの公式に従った運動を見るような場合だと思う。そのためには、教材の中のアニメーションについての公式なり数式のパラメータを生徒が変更できるとうれしい。そうすると、パラメータ変更画面を用意して云々という話が出てくると思う。そこは突き抜けて、(特定部分についての)版管理を導入しといて、その上でシステム自体を書き換えられるようにすればいい。まぁ、Dynabookだ。さらには、Dynabook的なものにすれば、アニメーション云々だけでなく、教材の再構成だって可能だろう。

あとは、アニメーションに限らない動画あたりだが、タブレットのブラウザでリンクを張っておけばいい。リンクは動画に限らないが。

そう考えると、Dynabookにならないなら、タブレットのブラウザでHTMLで書かれた教材を使えばいいじゃないかと思う。学年によっては、資格試験なんかの関係で電卓に慣れていた方がいいということもあるけど。

Dynabook的な突き抜けたものを作らないなら、正直面白くないと思う。

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