映画

映画: オデッセイ

マット・デイモン、 リドリー・スコット監督、20世紀フォックス、2015.

こっち書くの久しぶりだ。

アマゾン・ビデオで見ました。

感想。あー、なんだろ。ゼロ・グラビティーにも届かない感じ。「助かったの? よかったね」くらいかなぁ。 正直に言えば、アサイラム作品のほうが面白い。まぁ方向が違うけど。

ところどころに入るジョークとかが、まぁなんとか見終える役に立ったくらい。 

基本、「どうせ助かるんでしょ?」から「やっぱ助かったね」のコンボは面白さをむちゃくちゃ低くする。いや、このコンボだから評価が上がる人もいるだろうけど。

作中も、なんだかのほほんと進んでいくし。 

[映画] CHAPPiE

, Sharlto Copley, Dev Patel, Sigournry Weaver, Hugh Jackman, Neill Blomkamp 監督, Colombia, 2015.

おなじみのコンビだけど、コプリーは顔がちっともでない。そういう役だけど。
シガニー・ウィーヴァーとかヒュー・ジャックマンとか引っ張ってきててすごいな。

ムースは設計思想の違いだなぁ。警察用にはオーバー・スペック。だけどロボコップにこんなの出てたけど。

面白かった。

最後にNINJAがはいてたのの「テンション」て何だ? 

[映画]寄生獣 完結編

, 染谷将太, 深津絵里, 山崎 貴 監督, 東宝, 2015.

んー、面白かったです。

そういえば、アゴのアンちゃんが出てこなかったな。親父さんがいなかったことになってるから、まぁそうかという感じ。

後藤の最期のあたりの動きはちょっと不自然な感じもする。

ミギーとかの質感がやっぱりちょっとなぁと思う。クレイの質感という感じで、なんか少しちょっとなと思う。

原作も同時に頭の中で再生しながら観れた感じ。

ちょっと気になるのが、スタッフロールが珍しく上から下に流れる。その背景もそれにだいたい合わせて下から上に浮かんでいく感じ。んー、それでどういうことなのかはよく分からないけど。 

[映画]ted 2 (公開は夏)

ted2が公開されるようです

NHKで先日NEXT WORLDなんてのをやってたので、それに関連しそうな事を。twitterに書いたことも少し取り込んで。

リンク先を観てもらえば分かりますが、tedは結婚して、子供が欲しいのだが、とうぜんそういう機能はない。精子の提供は昔からの友達から受けるようだが、ted自身の法律上の立場が問題となる。そういう話のようです。

ted2ではうまく落とすのだと思います。ですが、現実の場合、どうなるのでしょうか? 例えば、充分に発達した人工知能、現在の類人猿、あるいは知性化した類人猿や犬など、そして遺伝子をいじった人間、記録や復元された人格。

現状の類人猿はどうなんだろとは思いますが、それ以外の場合、例えば人権のあたりはどうなるのでしょうか?  

生物学的な人間にのみ人権が認められるというのは、何かがおかしいように思います。あるいは、他の場合でも人権が認められるとしても、生物学的な人間であることを根拠とし、それを特権とするとしても、何かがおかしいように思います。 

こういう問題を考えた作品も当然あります。アジモフの二百周年を迎えた男、およびシルヴァーバーグによる長編化では、最初は会社を作って法人格を確保するところから始めています。最終的に主人公は人間と認められるわけではありますが。ここについては、アジモフの方だと、人間であるという立場を獲得したから最後の場面が成り立つように思います。対して、シルヴァーバーグの長編では、主人公は人間と認められなかったとしても、最後の場面が成立するのではないかと思わせてしまいます。これはおそらく、シルヴァーバーグがその場面をきちんと描いてしまったために発生する解釈のゆらぎだろうと思いますが。それはともかく、どちらの場合も人間という立場を認められる理屈は存在していません。ただ一つ、不死性という問題を除いて。 

ted2も上の作品も、しょせんはフィクションだと言ってしまうことも可能でしょう。あるいは、そのあたりが問題になる前に、機能制限をかける方向にいくかもしれません。

おそらく一つの可能性は、知性体という概念を認めることだと思います。定義や、確認の方法は知りませんが。チューリング・テストが話にでてくるかもしれませんが、うーん、どうなんでしょう。あるいは人間の知性のありかたとは違った場合にはどうなるのでしょうか?

ただ、知性体という概念を認めた場合、一つ問題が出るかもしれません。個別に知性体か否かの判定をするのだとすれば、現在知的障害があるとされる方々、あるいはもっと広い範囲になるのかもしれませんが、人間でありながら知性体とはみなされない方々がいることになるかもしれません。上で「特権」と書きましたが、そういう特権を認める根拠というものがあるのでしょうか? 私はないように思います。ここは別になにか考えないといけない部分だとは思います。(差別の意図はありません。特権が存在しうるのかという話です。)

ここまでは、人工知能とかを人間と同格と見るかという話です。この言い方の場合、元来人工知能は人間より格下だというニュアンスがあると思います。では、人工知能が人間と同格だとした場合というのは実際にありえるのでしょうか? 例えば、人工知能はハードにせよソフトにせよメンテされていれば、人間よりも長く稼働できると思います。1,000年稼働できる人工知能に対して、人間は同格なのでしょうか? 1,000年の間には世代交代と、それにともなう教育が必要になります。これらをコストと見た場合、人間は人工知能と同格なのでしょうか? 

ted2は面白ければ構いません。ただ、どう落とすのかにも興味があることはあります。 

[映画]サイコパス

, 本広克行, 東宝, 2015.

んー、あー、どうなんだろ。

建物や車などなどのCGっぽさと、キャラクターのアニメ絵っぽさに何か「ちょっとなー」という感じがありました。

それと、一部のセリフが英語になってますが、「それ、訳したでしょ」という感じになってるのが「ちょっとなー」と感じました。こういうのって、たぶん訳しちゃダメなんですよ。そういう状況ででてくる言葉に置き換えないと。

で、この2つの印象がまず出てくるというところで、評価という面での感想は察してください。

まぁ、なんだろ。正直、「狂い方が足りない」という表現になっちゃうのかなぁ。

Monty Pythonとか、Max Headroomとか、サイバーパンクとか、ルーディ・ラッカーのウェットウェアとかの4部作とか、他にもいろいろと、「狂ってるのばっち来い」という準備があるので、なんだかなーという感じです。

不条理な世界で条理が存在しうるという前提なのがどうもなー。潜在犯云々は、まぁ歴史ある設定だし、実際にもロンブローゾ(円盤に乗っていない、実在の方)とかあるわけだし。シビュラシステムが「ただのミステリの舞台装置」でしかないのがどうもなー。

まぁ「なぜ?」とかいう疑問で、数年くらい以内で答えが出るものは、「潜在的に既に解かれている」ので、問う必要すらない。普通のミステリにも私が興味を持てないのは、そういう理由もある。 

[映画]ベイマックス

, disney, 2014.

観てきました。

最初に短編アニメが流れるので、どういう事なのか混乱しました。普通に短編アニメです。

で、観て思ったとか連想したとか感じたこと:
  • プラレス3四郎
  • ヒロ(とタダシ)の部屋に、Zと28号を合わせたような絵が飾ってある
  • タダシの遊び仲間の研究が紹介される。各々の研究がスーツに反映されている
  • その中の一人のスーツはヒーローというより怪人(そもそもそいつは研究をしていない)
  • ベイマックスは、28号の原作の初期あたりの大きさ
  • だが、ヒロを背中に乗せて飛べる
  • 敵役は、必ずしも悪人ではない
  • ベイマックスは最後でちゃっかりうまいことやってると言えるのかもしれない
  • エンドロールというのかその少し前というのかのあたりで、新聞記事の体裁で、その後の活躍とか出来事が幾つか紹介されてる(見出し程度は読めるはず)
  • ヒーロー仲間の見た目怪人な人の親父さんが、もしかしたら謎かもしれない

で、これらの他に思ったことですが。背景とか髪の感じとか、もう実写みたいに見える。でも、登場人物の顔の造形や体型なんかはディズニーアニメ系。顔とかへの影の付け方もあるのでしょうけれど、両者の間にあるように感じてもおかしくないギャップが特に無い。技術として、やっぱり凄いのだなと感じました。

-sk/hm/wl

寄生獣

, 染谷 将太, 山崎 貴 監督, 東宝, 2014.

結構面白かったかも。

ちょっと気になったのがいくつか:
  • ヤンキーねーちゃんがいない。
  • シンイチに父ちゃんがいない。
  • シンイチの母ちゃんの雰囲気がちょっと違うかなぁ。でもやけどはある。
  • ミギーの肌の質感が、クレイモデルかなんかの感じでちょっとなぁ。
  • セットがちゃちい。日本のドラマや映画ではそれがデフォですけど。

他にも、Aさんとのエピソードは、原作とは場所を変えてあります。原作でも島田の時に生徒が、「またかよ」みたいなことを言っていました。それが原作者の気分なのかどうかは分かりませんが、この変更はあってもいいかなぁと思います。あとは、島田を倒す方法がどうなのかなぁという気がしないでもないです。ここは描けるなら原作の方がダイナミックでいいかも。

そうそう。シンイチが混ざった後、原作では髪型を変えてたように思います。その表現はそのまま再現して良いんじゃないかなと思います。あとは、原作は「目」を描き分けていたんだなぁと感じました。

でも、結構原作をなぞっています。

そういうわけで、1時間くらいした辺りで、気づくことがあります。「これ、2時間程度に収まるの?」

収まりません。探偵さんだと思いますが、チョビっと後ろ姿が見えます。ですが、後藤(三木)の能力評価あたりから先は、4月下旬の後編で、ということのようです。
 

Dawn of the Planet of the Apes (猿の惑星: 新世紀ライジング)

, Andy Serkis, Matt Reeves 監督, 20th Century Fox, 2014.

前作でベクタにしたウィルスが世界規模に広がり、人類はかなり弱体化してます。

それに対して類人猿の勢力がどうなっているのかは分かりません。単純に考えると、前作で避難した類人猿とその子孫くらいしかいないのかもしれません。

感想は、良くも悪くも繋ぎという感じです。この作で終われば、むしろこの作品はない方がいいと思います。あるいは次作があるなら、それがどういうものであれ、そこに至る過程を描いているということになると思います。

というわけで、面白いともどうとも言えません。

X-MEN: Days of Future Past (その2)

先に、「邦題の副題はどうなんだろ?」ということを書きました。公開から日もたちましたし、ちょっと説明を追加しておきます(ネタばれ気味なので、少し日を空けました)。

“Days of Future Past”を単純に訳すと、「過去においてこうであった未来」、あるいは「過ぎ去った未来」という感じになるかと思います。この2つの訳でも、ちょっとニュアンスが違うように感じてもらえればいいのですが。

この副題は、内容と照らし合わせても、たぶん2つの解釈が可能です。1つめの解釈は、「回避できた、あの未来」という感じかなと思います。もう1つの解釈は、そうして得た新しい未来において、分岐点(?)からウルヴァリンがエグゼビアと再会(?)した時までの「過ぎ去った未来」という感じかと思います。どっちかではなく、たぶん両方と考えたほうが面白いんじゃないかと思います。

GODZILLA

, Aaron Taylor-Johnson, 渡辺 謙,Elizabeth Olsen, Bryan Cranston, Gareth Edwards 監督, Warner Bros. Pictures, 2014.

面白かったですけど、ちょっとモヤモヤするところもあるかなという感じです。

芹沢博士(渡辺謙)が、"We call him `ゴジラ'"と言っています。若干"him"でいいのかなぁという気がしないでもないです。ミニラを産んだ個体がいたんじゃなかったでしたっけ? それともミニラは卵かなんかで発見されたんでしたっけ? まぁどっちにしろゴジラの性別は分からないので。「わけがわからないもの」という意味では"it"でもいいような気がしますが。それだと生物だという感じが少なくなる気がしないでもない。「無標の"him"」ということかも。

あと、芹沢博士が「ゴジラは調整者(バランサーだったかな?)だ」と言っていましたが、「調整者」とはどういう意味なんでしょうね? 理解が難しいセリフです。

他の方の感想とかで、ゴジラは人間の理解の及ばないものであって、怪獣同士が戦っていても、ゴジラは人間のことなど一顧だにしないというものがあります。

それはそうかなぁと思うとともに、それだと、いわゆる本編と特撮が上手くかみ合わなくなるような気もすると思います。

最初のゴジラだと、なんとなくそう思うだけですけど、人間の理解が及ばないものに対してさえオキシジェン・デストロイヤーという形で(いや形はどうでもいいけど)対抗(?)できるようになってしまった、人間の知性というものの恐ろしさがあったように思います。
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