SF

ロボットは新しい奴隷なのか?

まぁ、タイトルみたいなことは以前、書いたことがあるわけですが。

先日実家に電話した時に、母が言ったんですよ。「ロボット三原則とか、なんで人間はロボットを支配できるものと考えるんだろうね?」って。ニュースかなぁ、なんかTVで観てそんなことを思ったらしいです。

まぁ、これは母が「ロボット三原則」について知らないという面もありますが。どうもそれだけではないようで。

だいたいロボット三原則(というか第0条もあるけど)は、アシモフがネタとしてまとめたものであり(編集者による指摘があったらしいけど)、かつアシモフ自身が「こんなんじゃダメだよ〜」とか、「そんなに簡単な話じゃないよね〜」というネタとして使っていたものです。その「こんなんじゃダメだよ〜」とか「そんなに簡単な話じゃないよね〜」という部分を無視して「ロボット三原則」を持ち出すとか、「どうなんだろ?」的な内容だったらしいです。聞いた話だと。

う〜ん。うちの母にすら指摘されるのってどんなもんなんだかと思いますが。

太陽系は狭く、宇宙は広い

えーと、まずこの表から。

太陽から惑星などの公転軌道までの距離(公転半径。単位は天文単位: AU):
水星: 0.387
金星: 0.723
地球: 1.000
火星: 1.524
木星: 5.203
土星: 9.537
天王星: 19.189
海王星: 30.070
カイパーベルトなど: 50くらい
散乱円盤: 50以上
末端衝撃波面: 75から90
ヘリオシース: 113あたりから(形がかならずしも球ではないのでめんどくさい)
ヘリオポーズ外面: 50から160(諸説あるのと、形が球ではないのでめんどくさい)
以上は:
-太陽系
-太陽圏
-ヘリオポーズ
より。

なお、1AUは太陽-地球の距離で、149,597,870.7kmであり、8.3光分である。

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太陽系の範囲をどこまでにするかには議論もあると思いますが、いくつか見てみます。

さて、冥王星が亜惑星になってしまいましたし、そもそも冥王星の軌道は変わっていたりしました。もしかすると捕獲された惑星かもしれません。まぁそうは言っても、太陽を公転しているので、一言で除外するというのもちょっとなぁと思います。

そうすると、次に候補として出てくるのはカイパーベルトあたりかもしれません。

ですが、散乱円盤に含まれるのは、散乱円盤天体と呼ばれ、カイパーベルトから外にある「太陽系外縁天体」というのでこれも捨てるには忍びない。

となると、末端衝撃波面、ヘリオシース、ヘリオポーズが候補として残るかと思います。ヘリオポーズを採用するのが良さそうには思うのですが、値の幅位が広くてめんどうなので捨ててしまいましょう。で、実用的にどうこうという話でもないので、ここではヘリオシースのよどみの始まり付近が太陽から113AUあたりとし、太陽を中心とした半径113AUの球を太陽系の領域だとします。

さて、かなりの資源庫となりそうなのは火星と木星の間の小惑星帯もありますが、それとともに木星と土星もあるかなと思います。土星のリングや衛星はかなりの資源庫だと思いますが。で、太陽からの公転軌道の距離が9.5auです。太陽-地球間のたった9.5倍。まぁ実際に行くにはすぐさま直線距離で行けるわけでもないので9.5倍よりも長い経路になるわけですが。

ヘリオシースで採用した113AUだって、太陽-地球間のたった113倍。1AUが8.3光分なので、太陽からそこまでは937.9光分です。これは15.6光時。太陽からそこまで1日かからずに電波や光が到達するわけです。太陽を中心としてそこまでを半径とする球の領域を考えます。これを太陽系の領域(あるいは、そういう言い方はしないでしょうけど、太陽系の領空とか)と考えることにします。すると、領域の端っこから端っこまで、31.25光時。24時間と7時間と1/4時間くらいで電波や光は通り過ぎます。なんかとても実用的な数字に思えます。まぁまっすぐやると太陽に全部当たりそうでは有りますが。

そこで他の恒星系ではどうかは分かりませんが、恒星系の領域を、直径1光日から2光日のあいだのどこかに設定したとします。一応直径2光日くらいにしとえばだいたいいいのかもしれません。これはなんかの設定に使えるかも。

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現実はともかく、2光日という数字だけみると、恒星系内の探査は実現できそうに思えてきます。この時点で感覚が多少麻痺していることは自覚していますが。

では、よく引き合いに出されるケンタウルス座アルファ星Aはどれほど近いかというと、4.36光年。1光年がおよそ63,241 AUなので275,730.8AU。太陽系の領域の直径が226AU、31.25光時なので、だいたい38,126.5光時。太陽系の領域の直径の1,220.0倍。太陽系の領域の半径で考えれば、その倍。いやまぁ光時の段階で、光時という単位じゃ面倒になる距離だと思います。

半径で考えて、カイパーベルトとかの50AUくらいはなんとかなるかもと思いますが(ここも感覚が麻痺してる)、その5,514.6倍はちょっとなぁと思います。

例えばヘリオシースまでの113AU。1AUを1kmに置き換えて考えると113km。まぁ歩いても行けない距離じゃない。4.36光年は275,730.8AUなので、275,730kmに置き換えてみます。これだけでも無理っぽい気がします。ちなみに地球の半径は6,371 kmですので、円周は2πr=40,0302km。地球を6.9周くらいの換算になります。無理です。飛行機でもないと無理。頑張れば自動車でも距離だけについて言えばなんとかなるかもしれないけど。

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実際には、太陽系内の移動ですらFTLが実現しないとそうそう歩きまわることはできないと思います。

では恒星系間の場合はどうなるのでしょうか? FTLで一括りにできるような方法で大丈夫なのでしょうか?

例えば、113AUを113kmに置き換えた場合、自動車で大丈夫です。ですが、地球を6.9周するのに自動車で大丈夫でしょうか? 飛行機が必要ではないでしょうか?

同じように、太陽系内で使えるFTLとは別のFTLが必要になったりしないのでしょうか?

何かが麻痺している感じでも、これはやはり遠いと思います。

-sk/hm/wl

人間の知性の限界

ちょとした遊びです。まぁ、限界というよりも、今までのところでの質的な上限についてです。

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長いですけど前説。

抽象的思考については、何をもってそう呼ぶのかについて議論はあるでしょうが、壁画を描いた時点で一定の抽象的思考の能力を持っていたのでしょう。幾何学模様というような話でなくとも、3次元の物体を2次元に投影し、それを3次元のものと(おそらく)認識していたのでしょうから。例えばそこから文字や数という概念に至るのに時間がかかっていたとしても(文字については実際に時間がかかったと考えられています。言語の発生はいつなのか不明ですが)、それは時間の問題だったと考えておこうと思います。このような一種の記号化が可能になったのは、壁画という証拠からみると、4万〜3万年ほど前のようです。

おそらく、根本的な質という面に限れば、記号化というmemeを手に入れた―あるいはそれを許容できる脳を手に入れた―、その時点が頂点であるのかもしれません。あとは、そのmeme自体の変化や進化なのかもしれません。

そこで、3万年前が人間の知性の上限だったと言うと、いろいろ反論が出てくるように思います。「彼らは、現在の科学技術を持っていなかった」とか。そこは問題にならないというか、生物としての人間の知性の上限ではなく、memeの変化や進化や蓄積、それと知識の蓄積であろうと思いますが。

では、もう少し受け入れられやすいと思う次の時点を探します。信仰、農耕、集会などが挙げられるかと思います。信仰の起源は分かりません。壁画を描いた頃に発生したのかもしれません。あるいはもっと前かもしれません。赤鉄鉱を使っての化粧なんかには、信仰に類するものと部族などを示すものとが混在しているらしいです。アフリカ大陸南端の遺跡からは使われた赤鉄鉱(?)なんかが発掘されています。10万年くらい昔です。

んー、あれ? 信仰に類するものや部族などを示す化粧がなされていたということは、すでに抽象化の能力を持っていたのでしょうか? だとしたら、上に書いた3万年前よりも遡りますね。なお、その時期は氷期だったらしく、ホモ・サピエンスの遺伝的多様性がかなり失われた時期らしいです。

農耕と集会については一緒にします。農耕の最初期はかなり偶発的な面もあったと思います。そこで野生種から栽培種への変化の過程をみると、どうも部族間での集会もそれと並行していたようですので。これが1万年前くらい。やぁ、結構最近に戻って来ました。なぜ農耕をここで書くものに入れているかというのは単純な話です。「いつ種を蒔いたらいいのか」ということを知らなければならないからです。天文学的知識は無くとも、1年という周期かそれに類するものは知って、あるいは分かっていないといけないからです。天体観測をしていたかもしれませんし、もしかしたら数の概念に到達していたかもしれません。なので、農耕という表現をしてはいますが、農耕そのものよりもそれらの方を少しばかり重要視しています。

まだ何か言われそうなので、もう少し最近を見てみましょう。5,000から6,000年前(あるいはそれより前)の都市国家の誕生の時期です。この時期には文字、職業、法律、(形はどうあれ)お金も現れています。お金というより交換の媒体とだけ書いておく方がいいのかもしれません。

これより最近で、上限とみなすことができそうな時期はあまり見つかりそうもありません。ですが、ここではギリシアとローマ帝国の時期を挙げておきましょう。これらは、近い分、何年前くらいという表現が使いにくくなりますが。まぁ大雑把に2,000年前くらいとしましょう。時期として一緒にしていますが、古代ギリシア文明とローマ帝国では文化としてかなり違います。古代ギリシア文明は多様性があったのに対して、ローマ帝国はあくまでローマ帝国という感じだったらしいです。ただ、2つを分けると時期の書き方が面倒になるので、ここでは一緒にしておきます。

この時期に何が変わったか。うーん、国家が大規模になったとか。「思想」や「思索」がそれなりに重要視されたとか。エネルギー消費に奴隷も含めると、いくらか現代に近づくとか。「思想」などというものをどうとらえるかにはいろいろあるかと思いますが。5,000から6,000年前のメソポタミアとかでも神話が体系化されており、その中では天体についての思索もあることはあるわけで。あるいは数学が誕生したと言ってしまった方が簡単かもしれません。でも、それ以前になかったわけはありません。天体観測は行なっていたのですから。表現の問題ですが、「抽象的な数学」が誕生した時期と言っておいた方がいいかもしれません。あぁ、あとギリシアでは民主主義も起きています。

もっと近い時期になにかなかったかと考えると、逆説的ですが中世の暗黒時代があります(そう呼ぶのも荒っぽいですけど)。この時期ヨーロッパでは、文明は退行しているわけですが、なぜ退行が起こったのかというあたりについて考えてみます(まぁ地域限定の話でもあるわけですが)。西ローマ帝国のあと、1,000年くらいの間かと思います。西暦500年付近から、1,500年あるいは1,600年あたりかなと思います(文献探索とかが1,600とかでも行なわれていたので、とりあえずそこまでを入れておきます)。西ローマ帝国は周辺地域の部族(?)による侵攻や、他の地域での火山の大噴火なんかがあったそうです。その辺りが引き金らしいですけど。まぁこの時期でも東ローマ帝国は健在だったらしいですけど。この時期でも、東ローマ帝国やイスラムででっかい聖堂が作られたりしてます。前のローマ帝国と質的に違うのかどうかは、私には分かりません。この時期の考察は私には手に負えません。とりあえず時期的には1,000年前くらいとしておきます。

ただ、問題として考えたいのが、なぜ1,000年にわたって復興されなかったのかということです。カトリックの権力とか王制の権力とかいろいろあったらしいです。あるいは東ローマ帝国でもここで特筆するようなことはなかったようです(私の検索が足りないだけだと思いますが)。なぜ1,000年にわたって革新がなかったのか。このように捉えるのは恣意的ではありますが、権力と規範の限界期と考えることはできないでしょうか。いろいろあったわけですが、権力と規範が1,000年ほどにわたってとりあえず維持されていたわけです。この時期あたりでの国家などの規模とそれに付随するものが一種の安定期、あるいは限界期を迎えていたと考えてみます。

この後にルネッサンス期が来るわけです。そこでの復興と発展は大変なものがあります。ですが、それがもたらしたのは、ある意味での混乱とも言えるのではないかと思います。まぁルネッサンスの初期あたりも年代として入れておくと、これまた一つにまとめられませんが、西暦1,500年ころとしておきます。500年前くらいですね。

それよりも最近で何が起こったかというと、産業革命を挙げておくだけで構わないのかなと思います。個人のエネルギー消費の爆発的増加は現在にも繋がっています。細かい話は置いといて、西暦1,800年ころとしておきます。

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ちょっとまとめます。

  • 10万年前: 化粧
  • 3万年前: 壁画
  • 1万年前: 農耕
  • 6,000年前: 都市国家、文字、職業、法律、お金(交換の媒体)
  • 2,000年前: 抽象的数学、哲学
  • 1,000年前: 権力と規範の限界
  • 500年前: ルネッサンス
  • 200年前: 産業革命(エネルギー消費の爆発)

この辺りから本番。

さて、人間の知性はこれらのどこかで上限を迎えていたのでしょうか。それとも今も向上し続けているのでしょうか?

ここで注意が必要なのは、現在の我々は知識の集積の上にいるということです。

「無人島に行く時に何か一つだけ持っていけるとしたら」という話がありますが、私たちは自分自身の脳を持っていくだけで、おそらく上記のどの時代に於いても変革を起こせるでしょう。仮にその変革が受け入れられなかったとしても、少なくとも変革の芽は残せると思います。ですが、その可能性は、必ずしも現在の人間が上記のどの時代の人間よりも、知性の面で優れているからとは言えないのです。あるいは少なくとも言えない可能性が残るわけです。

まぁ、解剖学的には6,000年前あたりが上限だったん可能性があるという話になっていますが。

それと、上の列挙は恣意的なものですが、上の項目の年代の1/3〜1/2で、次の項目の年代となっています。まぁ加速度が一定に近いという表現が、そこそこ良いのかもしれません。そうするとちょっとしたアイディアを思いつきます。遺伝情報に基づく脳の機能の向上が変革に追いつかなくなることはあるのか? あるとして、それはいつなのか?

では、人間の知性は向上し続けていて、かつ加速度が一定だとしましょう。その場合、人間の遺伝情報が変化するためには、つまり単純に考えて自分が生まれてから自分の子供が生まれるまでの時間が必要です(群れとしてみると、また少し違いますが)。ですが、単純に考えて1世代必要なわけです。仮に1世代を30年とします。加速度が一定だとして、変革が30年を割り込むのはいつでしょうか?

これは、あるいはこういう言い方ができるかも知れません。ある言語における単語の意味は変化し、場合によっては増えます。そして場合によっては外国語や古語、死語から語彙を持ってきます。そのような方法でやっていくと、語彙は増え、多義語が増えるかもしれません。そのような傾向が続けば、人間の脳という実行系においては言語というシステムが崩壊する可能性があるかもしれません。その崩壊はいつなのでしょうか?

言語システムは置いておくとして、ここでは1/3よりもゆるやかな1/2を、うーん、いや2/3を使いましょう。すると、200年前の産業革命以後に変革があったかもしれない時期として、133年前、89年前、59年前、39.5年前、26年前、17.6年前、12年前、7.8年前、5年前、3.5年前、2.3年前、1.5年前、1年前となります。26年前で1世代、30年を割り込んでいます。

2014  -  26は1988年になります。この時期に何が起こったでしょうか? そのためには、その次の17.6年前を見てみます。2014  -  17.6 = 1996.4。この時期、MS-Windows 95が出ています。この時期に何が起こったでしょうか? 私見ですが、インターネット利用者の拡大がその1つとして挙げられるかもしれません。では、1988年ころには? これまた私見ですが、PCの普及を迎えていたことがあげられるかもしれません。

さて、仮に1988年に既に人間の知性の向上が変革に追いつかなくなっていたとしましょう。1996年には、それはさらに顕著になっていたかもしれません。では、現在私たちの知性というシステムは変革に追いつかなくなっているでしょうか? 何となく、「そうでもないのかもしれない」と思えます。1996年ごろを見てみると、1995年にYahoo! JAPANが検索エンジンを公開しています。私たちの知性というシステムが変革に追いつかなくなっていたとしても、検索エンジンにより、そこの所を補えているのかもしれません。ですが、補えているのと、知性というシステムが追いついているのとはまったく違う現象でしょう。

では、この辺りで1世紀ほど技術の停滞が起こるのでしょうか? 中世の暗黒時代のように。どうもそうでは無いように見えます。

さて、26年前、17.6年前とならんで、59年前という数字があります。2014 — 59 = 1955年。この近辺で何があったか。私見ですが、1956年にダートマス会議が催されています。まぁ「人工知能を実現するぞー!」と言った会議です。

検索エンジンも、考え方によっては人工知能です。1995年当時も今も。今の方がよりはっきり人工知能的だと言えるかもしれません。

さて、では1988年に既に知性というシステムが変革に追いつかなくなっていたとします。そして1995年にはある意味での人工知能がそこを補えていたとします。ですが、そうであると認めるかどうかという問題があります。つまり、人間の知性というシステムはそれのみでは既に存在できず、あるいはそれの群れとしてのみでは既に存在できず、人工知能との複合体として、やっと存在できているという見方を受け入れられるかどうかです。

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人間の知性は、まだまだ変革に耐えられる余裕があるのかもしれません。

あるいは、人間の知性はまだまだ一定の加速度、あるいは速度で向上しているのかもしれません。

あるいは、人間の知性は既に、もしかしたらとっくの昔に上限を迎えているのかもしれません。

あるいは、人間の知性はまだまだ一定の加速度で向上しているのかもしれません。

あるいは、すでに人工知能との複合体という形になっているのかもしれません。もし、この場合、立場が逆になるのはいつでしょうか? 言い換えるなら、ウェアラブルなどによって行動を計算機に指示される、あるいは何らかの形で計算機が人間の行動に強く介入してくるようになるのはいつでしょうか? シンギュラリティを待つ必要は無いのかもしれません。

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まぁ、1/3とか1/2とか2/3とか、それを使って出している数字は遊びです。ですが、面白いかもしれないと思ったのでこんなのを書いてみました。どういう数字を使おうとも、毎年何かが見つかるはずです。

-sk/wl/hm

コンピュータはいつ”I”と言うのだろうか?

ANTHROPOMORPHISM: FROM ELIZA TO TERMINATOR 2", Abbe Don (and other panelists), CHI’ 92, pp. 67–70, ACM CHI(かな?), 1992.




先日、「ブルースクリーンに表示されるテキストのオリジナル版はスティーブ・バルマーが書いたものだった」という記事がありました。まぁ、これは誤報とのことですが。

先頭に挙げた”Anthropomorphism”の記事に、ちょっと興味をひく記述がありました。MSとは関係ないと思いますが、Ben Shneidermanが”Designing the User Interface: Strategies for Effective Human-Computer Interaction”という本で、こう述べているそうです。

anthropomorphism的なタブーは、「エラーメッセージにおいて一人称を用いてはならない」というようなものである。Ben Shneidermanは、代名詞の使用も避けるように言っている。たとえば、”To begin the lesson, press return”の方が”I will begin the lesson when you press return”よりも好ましい。

というような感じです。私は、Ben Shneidermanの本を読んだ事は多分ありません。

とは言え、結局、今の計算機が”I”を使っていないのは、当時の、そして当時からの感覚と慣習によるものでしかないのかもしれません。機能だとか性能だとかという話ではなく。

さて、そのような慣習があることは意味のあることなのでしょうか? 例えば、単純な話として、計算機が「私は」と言い出したら、人間は困惑するとか。あるいは、困惑するとしたら、それは人間が計算機との間に何か違いがあると判断しているからなのでしょうか? それとも、その困惑は、慣習がもたらしたものに過ぎないのでしょうか?

ですが、そのような慣習があるおかげで、改めて、「計算機はいつ”I”と言うのだろう?」という事柄を考える事ができます。まぁ、プログラムをそう書くか書かないかだけの話といえばそうですが。書くか書かないかをいつ、どうやって人間は判断をするのでしょうか?

Singularityに到達したらでしょうか? それとも、そこまで―それは近いのかもしれませんが―待つ必要があるのでしょうか? 仮に待つとして、Singularityに到達したと、どうやって人間が判断するのでしょうか? あるいは計算機が勝手に「到達した」と宣言するのでしょうか? それとも、単に慣習を無視して誰かが”I”などを使うだけの話なのでしょうか(もうあるのかもしれませんが)。

慣習に基づくにせよ、人間の何らかの感覚に基づくにせよ、現在、私達は計算機が”I”と言うのには(多分)慣れていません。どのような条件が揃えば、受け入れられるのでしょうか? やはりSingularityが鍵なのでしょうか? あるいは、それは単に見た目としてのエージェント(あるいはアヴァターとか)が現れれば十分に納得できるものなのでしょうか? それとも、単にエージェントが現れるだけではなく、充分に人間的―擬人化した動物だろうと―に思えるような表情、口調、身振りが必要なのでしょうか? 逆に、Singularityは問題ではなく、見た目として充分に人間的なら構わないのでしょうか?

計算機はいつ”I”と言うのでしょうか?

計算機にいつ”I”と言わせるのでしょうか?

まぁ、単に慣れの問題でしかないのかもしれません。

-wl/sk/hm

ロボット心理学者

アジモフのロボットもの、特に「我は、ロボット」と「聖者の行進」で、スーザン・キャルヴィン博士の職業は”ロボット心理学者”でした。「ロボットの心理学?」とおかしく思われる方もいるかもしれません。

さて、私が「考え方(ロジック)は1つなのか?」と「人間は考えているのか」と「人格の転写とか、知能の転写とか」あたりで触れた事柄があります。大雑把に、「人間が考えていると思っている事柄は、実際に考えているのか。それとも考えているという幻想なのか」というような話です。


その上で、次の本を挙げます。

「真空の海に帆をあげて(12 アシモフの科学エッセイ)」アイザック・アシモフ(山高 昭訳), 早川書房, 1988.

この中の「33. 新しい職業」(pp. 146–149)にてキャルヴィン博士をひき、こうあります。

もっ とも、知能と思えるやり方で仕事ができるロボットを設計し制作しても、彼らが人間と同じかたちで知能を持つことは、まずありそうもない。第一に、彼らの” 脳”は、人間の脳にあるものと違う物質でつくられている。第二に、彼らの脳は、別の構成要素をつなぎあわせて組み立てられ、別の方式で組織されていて、 (おそらくは)まったく別の方法で問題に取り組むのである。

構 成する物質とか、構成要素のつなぎ合わせ方とかが、根本的な問題になることは考えにくいかと思います。考えるということは、おそらくハードウェア(ウェッ トウェア)の問題ではなく、ソフトウェア(ウェットウェアの一部も含む)の問題だろうと思うからです。ですが、おそらく「まったく別の方法で問題に取り組 む」であろうとは思います。人工知能において、はじめは記述できると考えていたのが、むしろ統計を使うと良い物ができるという流れになったように。もちろ ん、統計のモデルとして獲得したものが、人間の知能と関係ないものなのかどうかは分かりませんが。

そして、こうもあります。

なぜなら、根本的に違う二種類の知能を詳細に研究すれば、いま可能なよりもはるかに一般的かつ本質的に知能を理解することを学ぶかもしれない。

もしかしたら、そうなのかもしれません。

仮にロボットによって人間とは違う知能のあり方が―それも十分に発達した(?)―実現されたとしましょう。そうなって初めて、少なくとも今よりははっきりとした、「知能とはなにか」を考えることができるのかもしれません。

そ してロボットの知能のあり方が違えば、まさしくロボット心理学者も必要でしょう。あるいは、さらに「普遍心理学」(「一般心理学」という言葉を使いたいと 思ったのですが、そういう言葉は既にあるようなので、若干違和感はありますが仮に「普遍」という言葉を使っておきます)とでも言えるような、脳やそれに類 するもののマクロ的な働きを考えることも可能になるかもしれません。

ランドスケープと夏の定理」にある「知性定理」が実現されるとしたら、もしかしたら普遍心理学の世界においてなのかもしれません。

-wl/sk/hm

リングワールドは可能か?

さて、きっちり計算しようとすると面倒なので、wikipediaの「大きさ順の太陽系天体の一覧」のデータのみを使います。その他にも面倒なので構成する物質やその比率を無視し、質量のみを考えます。また、小惑星帯にあるであろう有象無象や、オールト雲とかも基本的に無視します。

さて、それで何を言いたいのかというと、太陽系内の物質でリングワールドを構築することは可能なのかということです。

上のページに挙げてあり、かつ推測であっても質量が挙げてある惑星、小惑星、微惑星、衛星の総質量は2.66884E+27kgとなります。 1.1E+10という書き方は、1.1 * 10^10の意味です。ここでは当然太陽の質量は除いていますが、地球と月の質量は込みです。リングワールドの構築中、人類はどこに住むんでしょ? (笑)。

さて、太陽を可能な限り包み込むダイソンスフィアでは違うかもしれませんが、リングワールドですので、単位面積あたりに当たる太陽光の量は同じになるように、地球の公転軌道にリングワール ドを作ることにしましょう。すると、地球公転半径は1.474E+11 mです。それに従って、円周は2πrにより、9.261E+11 mとなります。

先 に行く前に、地球についてちょっとまとめときます。地球の体積は1,083.211E+9 km^3。これを立方メートルに直すと、1.08321E+21 m^3です。地球の重さは5.9736E+24kg。ここで立方メートルあたりの重さは、5514.72kgとなります。

さて、上で公転軌道の円周の長さを求めましたが、リングワールドでは面積が必要です。そこでいくつか場合を分けます。

場合1: リングの幅が1,000km(1,000,000m)の場合

この場合、リングの表面積は9.261E+17 m^2となります。

ここで、強度計算は分からないのですが(使うものや構造によってかなり変わると思う)、地球の地殻の厚さを参考に、リングの厚さを50km (50,000m)とします。

ここでも手を抜き(本来なら、円筒からその内側の部分を引いて計算しないといけない)、面積と厚さの積でリングの体積を出してみます。すると、4.631E+22 m^3となります。

さらに、根拠はありませんが、先に求めておいた、地球の立方メートルあたりの重さとこの体積の積により、質量を推定します。すると、2.554E+26 kgとなります。

場合2: リングの幅が地球の直径に等しい場合

この場合、地球の半径は6,371kmですので、リングの幅は12,742,000mとなります。これと円周との積により、リングの面積は1.180E+19 m^2となります。

ここで、リングの厚さを上の同じく50km(50,000m)として体積をだすと、5.900E+23 m^3となります。

さらに同様に質量を推定すると、3.254E+27kgとなります。

場合3: リングの幅が地球の直径に等しく、リングの厚さが幾分薄い場合

この場合、地球の半径は6,371kmですので、リングの幅は12,742,000mとなります。これと円周との積により、リングの面積は1.180E+19 m^2となります。

ここで、リングの厚さについては、40km(40,000m)とします。この場合で体積をだすと、4.720E+23 m^3となります。

さらに同様に質量を推定すると、2.603E+27kgとなります。

場合4: リングの幅が地球の円周の四分円分に等しく、厚さが薄い場合

この場合、地球の半径は6,371kmですので、円周は12,742,000mとなります。四分円ですので、その1/4=1.001E+007m (10,007,541.32m, 10,007.5km)。ちょっと補足しときます。場合2と場合3のリングの幅は地球の直径です。それに対して、こちらでは円周の1/4です。2rと2πr/4、 πと4は近いので除くとして考えると2r≒2πr/4になります。これと円周との積により、リングの面積は9.268E+18 m^2となります。

ここで、リングの厚さを50km(50,000m)とします。この場合の体積は、4.634E+23 m^3となります。

さらに同様に質量を推定すると、2.556E+27 kgとなります。

場合5: リング内の面積が地球の表面積に等しい場合

この場合、リングの幅は5.507E+2 m、つまり550.7mになります。

これはあまり嬉しくないと思いますので、ここまでで破棄します。


さて、大雑把にも程がある計算ですが、ひとまず結果をまとめてみます。いずれもオーダーと言う程度の話と思ってください。

系内にある物質の質量: 2.66884E+27kg 。

場合1: リング幅が1,000kmの時に必要な質量: 2.554E+26 kg。

場合2: リング幅が地球の直径に等しい時に必要な質量: 3.254E+27kg。

場合3: リング幅が地球の直径に等しく、リングが幾分薄い場合に必要な質量: 2.603E+27kg。

場合4: リングの幅が地球の円周の四分円分に等しい場合に必要な質量: 2.556E+27 kg

場合5: あんまり嬉しそうじゃない。

すると、場合1は系内の質量より一桁少ないので、できるかもしれない。

場合2と場合3と場合4は、系内の質量と桁が同じなのでどうなるか分からない。

というところでしょうか。

ちなみに、場合1の1,000kmというのは、直線距離で仙台-山口程度のようです。あまり幅があるとも言えないかもしれません。

リングの幅が地球の半径の場合は、場合2の1/2で質量は1.627E+27 kgになります。


というわけで、系内での移動さえどうにかすれば、系内の材料だけでリングワールドは作れるかもしれません。これはちょっと予想外でした。

で すが、地球のある辺りはそれほど恒星系が密集しているわけでもないので(地球の傍でなくても同じようなものか?)、リングワールドを作った後、系外に出て 行く材料にするものの調達が難しくなるかもしれません。系外に出て行くことを考えると、場合1に近いあたりの物を作るのがいいのかもしれません。あるいは、そうでなくとも、物質の内訳を考えるとその辺りになるのかもしれません。

すっ ぽり包むタイプのダイソンスフィアは、単一の系内ではおそらく無理なのでしょう。そうすると、近くの系まで食いつぶすことになるかもしれません。その場 合、その系から外に出ようとすると、途中で寄港するような場所もなくなるわけで、ますます外に出て行きにくくなるのかもしれません。計画的に残しておけば 話は別ですが。

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